親方の投稿記事一覧

2017.09.19

TOM

何年かぶりでトーエイオーナーズミーティングに参加しました。このイベントも早20年を迎え、主催の小泉氏からは一つの区切として次年からは休止させていただくとのアナウンスをされていました。

 

そう、私が事務局を務めるランデヴー・アレックスサンジェとともに中堀剛氏の主宰するポリージャポンから始まったビンテージ&ランドナー系の集まりはすでに一世代分の時を過ごしてきました。私たちが初めて高山のポリージャポンに集合したときはまだ30代半ばの元気の盛りのころでした。あれから早20年を超える時を経たわけで、当然幾人かの先輩方はすでに鬼籍にはいられ、私たちの世代もサラリーマンであれは定年を迎える年となっています。

 

今回の第20回のTOMに集まられた方たちのほとんどが50代から60代の方たちでした。この集まりを始めたころの参加者と同世代の30代40代の愛好家というひとがそこには見られませんでした。このことが意味するのは、このランドナー・ビンテージ系の自転車を愛好する人はこれから歳とともに減少していくということです。今回小泉氏が休止宣言をされて誰か若手でこの集まりを継いで仕切ってくれる方がいれば是非にお願いしたいと呼びかけていました。でもそこにはそれに該当する若手の人がいないのです。もはやこうしたイベントは私たちの世代で消えてしまう運命なのでしょうか。

 

いまこうしてこの場に集う人たちの多くは、高校・大学のころ自転車を好きになり、その青春時代のほとんどの時間を自転車に費やした人たちです。ランドナーを駆って全国の峠道や林道を攻め、キャンピングの荷物を満載した自転車で北海道をはじめとする各地をツーリングしていた仲間なのです。もちろん大学のサイクリングクラブに所属してそうしたツーリングを楽しんでいても、ほとんどの人は大学を卒業したとたんに自転車を降りてしまい、過去の思い出として大切にとっておくということになります。その中でも造形美を持った乗り物として自転車を楽しみにしていた人が中堀氏の呼びかけに応じて集まり、さまざまに活動を広げてきたのです。

 

今ここに過去30年を振り返り、自転車屋として付き合ってきたトーエイの方々はわれわれの好むランドナーを製作するうえで欠かせない存在です。ツーリングに特化した自転車としてランドナーを製作するにはさまざまなノウハウが必要です。それを維持しさらに高度で特別な仕様をかなえてくれるメーカーとしてその存在は大きいのです。今回のTOMにもそうしたトーエイの技術を体現した自転車が多数展示されていました。それはトーエイ社の洗練された技術力とそれを発注したオーナーの自転車への愛着心が生み出した発想力のたまものなのです。これはおそらく世界的に見ても稀有なことであると思います。

 

現在自転車を愛好する若者の多くはカーボンバイクを使用します。そして一部の若者はクロモリスチールパイプを使った自転車を好んで使用しています。しかしそれはランドナーではなくアメリカ由来のスタイルの自転車に荷物を括り付けてツーリングを楽しんでいるのです。手直にある自転車で目的をこなせるための装備をなるべく簡易に積載することを目的として作られています。それは近年の消費動向を反映してなるべくお金をかけずにやりたいことを楽しみたいということなのかもしれません。

 

翻って私たちの好んで作ってきたランドナーは40年代50年代のフランス流ツーリング自転車であるランドナーが日本のツーリング環境にちょうど当てはまることによって、そのスタイルを継承・発展させてきたものです。それはフランスの人たちによってツーリングに必要なことがなんであるかを本質的に突き詰められて形作られており、それは半世紀以上を隔てた今も変わらない真理です。いやむしろ20代のころの様に若さに任せた走りができなくなった今の私たちにこそあっているのかもしれません。

 

かつてがむしゃらに走った道をのんびりと辿っていくことは、一つの楽しみではないでしょうか。そして行くことのなかった別の道を走ってたのしむことにも余裕があると思います。
私たちが考えなければならないのは、そうした道がどこにあるのかであり、その道を多くの自転車愛好家の人たちに知ってもらうことです。そしてその道を消費するための自転車ではなく、いつまでも維持し、乗り続けることの出来る自転車で楽しんでもらうことだと思います。

 

TOMという集まりはこの20年間において、そうしたランドナーによるツーリングを楽しみしている人たちのひとつのよりどころとなってきました。これはこれからまだまだつづく私達世代にとって必要なことです。そしてそれが本当に魅力あふれる世界であることを今の30代40代の人たちに知ってもらうことができたらならば、きっと大きく発展できるのではと思います。

 

TOMが来年も開催されることを切に希望します。

親方


2017.08.17

コンクール雑記 ―ネット時代の海外遠征...

今回のコンクール、参加するための自転車づくりの傍らで、その準備として航空券や宿泊そしてレンタカーなど諸々の準備も自ら手配していきました。もし来年は我もと思う方やフランスツーリングをお考えの方は参考にしていただければ幸いです。

 

―――― airfrance.co.jp ――――

関西空港でのチェックイン

 今回5台の自転車をもっていったのですが、一台はオーストリッチのOS-500というトラベルバッグで運びました。グランボアのER700のエルゴ仕様のモデルだったので収納も非常に扱いやすく、かなり安全性の高いバッグだったです。残り4台は簡単に分解して箱に入れていきました。少なくとも往きの便だけは絶対に壊れてもらっては困りますから。4台の箱詰めのうち2台は輪行袋を用意して、帰りは袋で還るつもりでした。

航空会社の選択は自転車を委託荷物として持ち込みますので現地までの乗り換えは可能な限り避けます。つまり直行便を使います。私は以前ドバイ経由でフランスアルプスへツーリングした際、帰国の便で自転車を壊されたことがありました。東南アジアや中近東の格安航空会社は魅力的なのですが、トランジットでの荷扱いが不安です。多少費用が掛かっても荷扱いの回数を少なくするように心がけるべきであると思います。今回のようなレースへの参加で自転車を壊された日には泣いても泣ききれません。それで今回は関空から直行便が出ているAirFranceを使いました。これも現地での日程が決まっているので早くから予約できます。いまどきの航空券はホームページから簡単に予約・購入することができて、さらには座席も決めることができます。そしてなによりも航空券の早割はとても安いです。でも今回は参加を決めてすぐに航空券を手配すべきだったのに、ちょっと油断して2月になってから手配をしたところ、当初予定していたリヨンからの現地入りの航空券が2割も高くなることになってしまい、予定を変更してパリ着発の便にしました。エールフランスは当然パリ・シャルルドゴール空港がハブ空港ですので専用ターミナルになります。さらに今はチェックインまでネットで前日に済ますことができます。あとはカウンターで自転車とそのほかの荷物を預けるだけです。自転車の預けですが、航空会社によってまちまちで、エールフランスの場合は普通の委託荷物とは別扱いで別料金になります。往きが一台あたり100ドル、還りが100ユーロの別料金になります。これはあらかじめ電話予約が必要で料金は、別途空港カウンターでの支払いでした。今回は自転車の事務処理に結構時間が掛かり、荷物を預け終わった後は掛かりの人がついて空港内を先導してくれて、出国審査まで特急で通ることができました。

CDGにて、5台の自転車と手荷物

 

―――― rentalcars.com ――――

 空港への到着が夕方でしたのでまずは空港そばのホテルを予約しました。そのホテルまでの移動はホテル空港間のシャトルバスを使うことにして、翌朝からレンタカーを借り出してAmbertまでの移動するつもりだったのです。
今回は日本から5名パリから通訳の方が合流して6名と自転車5台、それに各々の10泊分の荷物を持っての移動です。まずは2台のミニバンをrentalcars.comで予約しました。このサイトはHertzやAVISといった大手だけでなく、現地の格安レンタカーも比較予約することができるのです。今回はEuropcarで借りることになりました。
ただ出発の一週間ほど前になり、やはり到着直後に車を借り出した方がその後の移動が簡単であることに気づいて、借り出しを一日早くなるように予約サイトで変更をしておきました。
で、空港に到着後ターミナル内に荷物を置いてとりあえずEuropcarのオフィスへと行ってみると、なんと直前の変更が通っておらず車がないとのこと、当初の予約通り明日の朝でなければ用意できないということになり真っ青になっていると、カウンターの兄ちゃんがアップグレードして大型のミニバンに変更することを提案してきました。それならすぐに用意できるし、その方が2台借りるよりも安くなるよと言ってきたのです。そこで店長と二人で相談の結果、兄ちゃんのいう通り変更してすることにしました。ターミナルからすべての荷物をもってきて事務所の前で待っているとやってきたのはワーゲンの巨大なミニバンでした。でもさすがにそのままでは載せきれず、一台は箱から取り出しバラバラにして、かろうじてすべての荷物をのせることができたのです。

どうにか積めました。

 今回は私と店長と、それに通訳のK氏の3名がドライバーでした。フランスは高速も一般道もパリ近郊を除けば気持ち良いドライブができます。制限速度も現実的に設定されていて、高速で追い越しをする大型トラックもいません。ロータリーも慣れれば合理的だなと思いますし、右側通行さえ気を付ければ本当に楽しいです。

この時の空港の車種変更でちょっとした料金トラブルがあったのですが、帰国後rentalcars.comのサイトから問い合わせたところ、日本人スタッフがきちんと対応してくれて無事解決しました。海外のサイトは英語で問合せとなるとちょっと面倒ですが、日本語で対応してくれると本当に助かります。

 

―――― booking.com ――――

 海外ホテルの予約は本当に簡単になりました。何年か前より利用しているbooking.comで予約しておいた空港近くのホテルで一泊しました。日本に走りにやってくる海外のサイクリストもbooking.comで日本の宿を手配している方が多いようです。このサイトの最も便利なのは所在地を地図で確認しながら、ツーリング等のコース上に選択することができることです。面白そうなところに宿があるのを見つけてコースを決めることもできるのですから。今回も空港近くで安くて車の便の良いところを考えて予約しました。

翌朝には通訳のK氏も無事合流してAmbertまで500kmをレンタカーでひた走り、ナビとK氏のアドバイスでパリ近郊を抜けてしまえばその後全くスムーズでした。

 

――――airbnb.com ――――

 Ambertでの宿ですが、今回初めて民泊紹介サイトairbnbを使って一棟貸の別荘を利用しました。airbnbのサイトをみますとbooking.com同様家の外観や内部を画像で確認でき、また設備・料金もはっきりしていますので明解です。場所は最初は大雑把にしか表記されませんが、ホストさんとの話がつけば正確な場所も案内されます。で今回はAmbertの中心から北へ10km程の山の中の小さな小さな集落の一軒でした。標高500mほどの山中、あまりに田舎なので日本でいう小字までの住所しかなく、最初はどこに目指すお家があるのかわかりませんでした。車でウロウロ山の中をさまよってようやく着いた次第です。4つの寝室に5台のベッドを備えて最大8名まで宿泊可能なスペースがありました。シャワールームも2つあり、この広さで一泊当たり11,381円8泊で諸経費込みが11万円弱でした。この人数で田舎の安ホテルに泊まることを考えるとかなり安いですね。

庭も広いです。

 このサイトでは貸主とのやり取りは申し込みから現地での鍵の受け渡しまで自分自身で行う必要があります。サイト上では英語で行うことができますが、やはり現地の言葉が使えませんと現地での細かな決め事が十分には理解できませんでした。今回は通訳の方がいましたので概ね良好に過ごすことができましたが、帰国後の相互の評価の時に非公開の通信で先方からごみの分別を注意されてしまいました。日本同様自治体で分別の仕方に違いがあるようで、通訳の方はパリ市内在住でしたのでやはり違いがあったのかと思います。

 

――――データ通信専用Sim ――――

 車での移動にはインターネットのGoogleMapをナビとして使っています。GoogleMapは現地レンタカーのナビを使うよりははるかに使い勝手が良いと思います。何といってもすべて日本語で扱え、ガイド音声も日本語なのですから。そのためにはデータ通信可能なタブレットが必要になります。そして今回のコンクールでは本部からの諸々の情報をその都度データで配布したりしましたのでそのためにもネットには常にアクセスできる必要がありました。
今回はモバイルルータを用意して、自身のAndroidタブレットと専務のiPadを使えるように準備しました。今回はSimフリーのモバイルルータに現地で安価なデータ通信専用のプリペイドのSimを差して使用しようと考え、あらかじめ通訳の方に現地通信会社のSim調達をお願いしておいたのです。フランスの場合は日本同様3社ほど主要通信会社があります。私は田舎でのアクセスが良いというOrangeのSimを用意してもらいました。でも問題はSimのアクティベーションでした。通話機能付きのSimの場合は電話でアクティベーションが可能なのですが、データ通信専用Simの場合は一度Orangeのショップへ出向いて手続きする必要があります。これが田舎のOrangeショップではなかなかでした。そのためにかなりの余分な時間をロスしてしまいました。
前回のフランス・イタリアツーリングの際にはあらかじめ世界各国どこでも使用できるGigskyというプリペイドSimを日本で購入しておきました。これをSimフリーのタブレットに差して使っていたのですが、全く手間がかからないで使用できました。料金的には現地の専用Simよりは確かに割高なのですが、貴重な旅先での時間を考えますとわずかなことだと思います。今回もこれを使えばよかったと反省しています。

 

―――― cash ――――

 フランスでは現金を使うことは少ないです。フランスでは昔は皆さん小切手を使っていました。スーパーでもカフェでもです。今はもっぱらカード払いですね。時前に用意するキャッシュは200ユーロもあれば今回のような場合は十分だったと思います。どうしても現金が必要になった場合は銀行のATMからクレジットカードで簡単に借りられます。

 


 

初めてフランスを訪れた25年前は宿泊予約はガイドブックのリストを頼りに最初のホテルにFAXで宿泊を申し込み、あとは行く先々の街のインフォメーションでホテルを紹介してもらっていました。地図は本屋でミシュランの分厚い地図帳を購入して、車を走らせながら道路標識を一生懸命読みました。現金もフラン建てのトラベラーズチェックを用意して持っていって行く先々の銀行で両替してました。今は本当に便利になりました。これからもっと便利になっていくのでしょうね。

 

 

 

親方


2017.08.03

コンクールで見かけた自転車あれこれ

コンクールに出場した自転車についてはconcours de machinesのHPやFacebookを通じて発信されているので、すでに多くをご覧になっていると思います。ここでは期間中に私が気になった自転車・モノを紹介させていただきます。

 

コンクールの初日、プレゼンのためにコンクール本部建物の前で待っていると審査員のひとりRaymond Henry氏がやってきました。まず彼の乗ってきたアルミフレームのランドナーに釘付けにされました。

シクロランドナーのついたアルミフレームのランドナーといえばBarraです。でもよくよく見るとフレームにはPitardのマークが残っています。

このアルミのランドナーは1949年のコンクール「Les 24 Heures d’Auvergne」に出場したPitardのコンクールマシンとのことでした。シートチューブを貫通する形のLe Chatのフロントメカやブレーキレバーへの変わった加工など特殊工作が満載です。

LE CHATの直付フロントメカ

MAFACのレバーは太鼓が抜けることのないように改造してある

帰国後に古いLE CYCLISTEを調べるとみるとこのオーベルニュのコンクールについての記事があり、まさしくこのPitard-Barraの写真とイラストが出ていました。

LE CYCLISTE 1949年10号より 8,9,10,11のイラストがそのまま

右の写真に写っているマシンそのものです。

 

もう一台ビンテージのすごい自転車がLe Chemineau

Le Chemineauはべロシオの弟子のひとりJoanny Panelの作ったブランドでスライド式外装変速機の原型となる変速機を装着しています。かのシクロランドナーがライバルとした画期的な変速機でした。

持ち主の方はこれをフリマで見つけたとのこと、フランスの田舎ではフリマがあちこちで開催されていて、80年前の自転車もこんな素晴らしいコンディションで出てくることがあるのですね。

 

 

もう一台、こちらもジャッジの一人であるDavid Agrechさんが乗って来ていた通勤用自転車とのこと、台湾でつくらせたというフレームにフロントシングルで気負いのない造りになっています。泥除けとフロントバッグがついていますがこのフロントバッグが独創的で仕事用のノートパソコンを運ぶために縦長にして、フロントキャリアは使わずフック式のホルダーでバッグ全体をホールドして路面振動を抑えて精密機器を保護しています。ジル・ベルトゥーでの特注品です。

 

 

さて実走2日目が終了すると各コンクールマシンは広場の展示台に飾られます。ここでゆっくり出走車を見ることができるのです。

今回Gilles Berthoudが持ち込んだのはこれ

中央の長髪の人物がGillesのフレームビルダーのVincent Crétin氏

 

クロスドシートステーにフロントパニアキャリアの一見普通のランドナーですが、実はフロントバッグの底にモバイルバッテリーを収めていてフロントハブダイナモで発電した電気をいったんためてライトやGPSに給電する仕かけになっています。これは実は今回のコンクールではなく、今現在まさに行われているtranscontinentalというベルギーからギリシャまで4000kmもの距離を8日間以上かけて走るレースのために作られた自転車とのことでした。GillesのパイロットVictorはこの自転車でコンクールのダートのコースを走って、いままたギリシャ目指して走り続けています。

 

今年多く目についたのは輪行に対応した仕掛けを取り入れたモデルです。

今年優勝したPechtregon。昨年3位で特徴的なフロントフォークと落ち着いたブルーのカラーリングは昨年同様ですが、大きく変わったのが分割式泥除けがついて、シートステーの上端がアーレンキ留めになっていて後三角がBBを中心にそのまま前へ廻って折りたためる輪行に対応したフレームになっています。

 

こちらは昨年優勝のVictore Cycles。今年は残念ながら結果がでなかったようですが、こちらはダウンチューブがS&Sのカップリグ、シートステーとトップチューブの接続はリッチーのBRAKE-AWAY方式でシートピラーを引き抜くと分解する仕掛けになっています。

 

そのほか目についたところでは

ジャッジ賞のVAGABONDE CYCLES。カンパ・ポテンザのシルバーパーツで纏められていてスッキリ。

 

総合3位でイノベーション賞を贈られたCYFAC。カーボンのオーダーフレームメーカーです。今回はなんとカーボン製のフロントキャリアを作ってきていました。

 

今年からいろいろな国から参加してます。

スェーデンから参加のPatrik Tegnérは日本的なランドナーの作り手。

オフセットの大きなフォークもきれいに曲がっています。

スェーデンでは Tegnérさんを含めて5人ほどで共同の工房で自転車を作っているとのことです。

 

スロバキアから参加のARKO BICI

 

そして今回のコンクールで事前から最大のライバルと考えていたのがアメリカのJPWegleでした。納期が数年待ちというアメリカ随一のランドナービルダーです。

とっても穏やかな職人らしい方で、自身のランドナーを駆って走る姿が今は亡きエルネスト・シューカにそっくりなのには驚きました。

 

申し訳ありません。JPWegleの出走車の写真を撮り忘れていました。今回彼の持ち込んだマシンの重量は9.7kgでグランボアより0.2kg重いだけでした。パーツスペックを考えますとグランボアとの差がたった200gとは信じがたい数字です。フレームチューブをよほど軽いものを使いませんとここまでの数字は出ないのではないでしょうか。フレームチューブのスペックは公表されておらず、フォークとステーはメッキ出しなのですが、赤味を帯びた色でプレス発表ではニッケルメッキとのことでした。ただニッケルメッキでは錆びやすくメッキ出しの意味がないように思います。今現在極薄パイプといえばステンレスチューブのレイノルズ953の0.5/0.3/0.5でしょうか。ステンレスで磨きだしであれば赤味掛かったフォーク&ステーも説明がつくのですが、エンドの差し込みにローの痕が見えません。今回の最大の謎はJPWegleのパイプです。

 

そして今回の収穫はイデアルサドルです。

イデアルのサドルがフランス人の手によって製作されています。かつてのイデアルの職人についてなめし方を習得して、イデアル90をかつての優美な姿そのままに復活させています。サドルトップのダニエル・ルブールのサインまでルブールの縁故者に了解を取り付けてしっかり入れられています。

年間生産が150個たらずだそうでとても供給が追い付きません。会場のブースでいっしょに話しているのはスゥーデンのビルダーで去年の11月にオーダーしたサドルはまだかいなと尋ねていました。

 

番外編

自転車ではないけど変わった車が路駐していました。かのメルセデスの万能自動車ウニモグです。

このウニモグは農業用の車両のようなのですが、線路も走れる仕様になっていました。

コンクール参加者にはこんな車に乗ってくる人も

 

とどめは初めて目にしたスーパーカー「ランボルギーニ」

宿泊した家の隣家のものだったのですが野太いエンジン音をあげていました。

 

FIN

親方


2017.07.28

コンクールドゥマシーン

グランボアは6月29日から7月2日までフランス南部のリゾートAmbertで開催されたConcours de machinesへ参加してきました。すでにスタッフによるレポートがこのブログやSNSを通じて出されていますので、多くの皆さんにその実際がお伝え出来たと思っています。グランボアの主宰者である私はそもそもの参加の経緯や準備について、また今後の展開についてお話したいと思います。

 

昨年のConcours de machinesは2016年の3月にフェイスブック上にその開催がアナウンスされました。それはかつてのフランスランドナー文化の黄金時代に開催されたいた「コンクール・デュラルミン」の復活を告げるものでした。17チームがフランス国内から参加して行われていました。当然その時も叶うならば参加はしたかったのですが、僅か3ヶ月でそのための自転車を作り上げて、さらには参加のための諸準備を完了させることは不可能でした。大会後、リヨン在住のフランス人の友人が参加車両の写真を多数送ってくれました。また実際の大会での走行シーンなどSNSを通じて流れてきて大いに興味をそそられると同時に、その出走車の多くがMTBのようなスタイルの自転車だったことに失望を覚えたのです。私はフランスの伝統的なランドナースタイルこそ彼の地で再び復活するべきであると常々思っていました。わずかにアレックス・サンジェとジルベルトゥーなどがそのスタイルを守りランドナーを作っていましたが、サンジェは早々に不参加を表明していて、ジルベルトゥの他わずかな参加者が現代的ランドナーを出走させていたにすぎなかったのです。

2016年ジルベルトゥーのコンクールマシン

 

そうしてその年の暮に2017年のConcours de machine開催のアナウンスが流れました。当然私は即座に申し込みました。それは主催するフランスの人たちにとっては全くの意外な申し込みだった様で、どうしてこのイベントを知ったのかを尋ねられる始末でした。年若いフランスの人たちは極東の果てからエントリーされるとは夢にも思ってなかったようです。かれらがこのイベントを起こした主たる目的はフランスの自転車製造技術の再興なのです。かつてのようにアルティザンと呼ばれる自転車を作る職人たちが己が技術とアイデアで作り上げた自転車を持ち寄って競い、交流することによってもう一度フランスの自転車文化を促進発展させようとするものなのです。

 

このイベントにはテーマがあります。それはかつてのイベントと同様に「軽量ランドナー」であり、その軽さと耐久性・オリジナリティを競うのです。そのためにみな知恵を絞って、オリジナリティあふれる、それでいて実際のハードな走行に耐える自転車を製作して集うものと私は考えました。私の手元には1946年のコンクール・デュラルミンで優勝した一台のサンジェがあります。それはフレーム状態で長らく残されていたもので、先代のエルネストが亡くなる直前に私の願いによって実際に使われていたパーツを捜しだして組み上げてくれたものです。パーツひとつ一つの隅々まで手を入れて、軽量化の極致を求めたこのコンクールモデルは、使われているパーツの形式や素材は多少異なりますが70年以上たっても自転車の基本的な構造は変わっていないのです。まさしく自転車製作者にとってはこれ以上ない目標でありお手本です。その造形の思想をふたたび蘇らせることを一つの柱として私はグランボアのあるべき軽量ランドナーの形を考えていきました。

エルネストと1946年のコンクールマシン

 

まずはフレーム作りから始めました。それまではグランボアの自転車は私の考えたフレームコンセプトを何社かのフレームメーカーにお願いして製作していました。しかしこのコンクールの主眼はオリジナルの自転車を作る者たちがフレームから製作して組み上げた自転車を持ち寄ることでした。

 

キャリアづくりはすでに10年以上行っていて、この間にフレームづくりのための冶具や旋盤は用意していました。私はこのイベント参加を目標にフレーム作りを一気に進め、まずは1月の半ばに科学館で行われる日本のビルダーの集まり「ハンドメイドバイシクル展」に出品すべくフレーム作りに取り掛かったのです。その一本目のフレームは12月の仕事納めの後、自宅の工房で始まりました。年末年始の大晦日・元旦の休日のほとんどは工房に籠っていました。そうしてできあがったのがグランボアのTypeIの一号車です。

グランボアTypeIの一号車

 

この時点ですでにコンクールのためのコンセプトはできていました。日本のツーリング文化のひとつの特徴である「輪行」を自転車のテーマとし、その輪行を簡易にする目的で開発したTypeERを基本形としました。この一号車ではカイセイ019のパイプでラグレス仕様、エンドやクラウンはこれまでTypeERのために用意したものを使い、ジオメトリーもTypeERの通りです。あとはコンクールのテーマに沿っていかに軽量化を図るかです。

 

最大の軽量化はフレームの素材をひたすら薄く軽いものにすることです。ただそれは当然強度の低下をもたらし、剛性不足のフレームになってしまいます。サンジェのコンクールマシンは0.3mmの極薄チューブで作られています。私はこれを受け取ったときに乗ってはならないとエルネストにきつく言い渡されました。当然またがったことは一度もありませんがフレームが損傷することは容易に想像できます。まだフレームづくりでは初心者のわたしがいきなり極薄パイプでフレーム作ることは無謀です。まずは定番的なパイプからです。6月開催のコンクールから逆算して、通常業務の間に製作できるのは月に1本程度で本番までに5本のフレームが製作可能とみて、冶具の調整を行いながら一本ずつ製作していったのです。今回使用したフレームは4本目で本来は予備用、使用パイプはカイセイ4130Rです。これは特段軽量はありませんでしたが以前よりイリベ製グランボアでは標準パイプとして使用していて、十分な剛性があり乗り味が素晴らしいと評価を得ていたパイプです。クラウンは新たに3mm厚で製作したグランボアの二枚肩クラウンです。それが出来上がったのが5月の中旬でした。そして本番用と製作した5本目のフレームではクラウンの他、前後のフレームエンドも特別に4mm厚の物を用意し、さらにはヘッドチューブとBBの内部を0.5mm程削り込んで軽量化を図ったのです。でも出来上がったフレームを比較してみると4本目と5本目の重量の差は15g程しかなくフレームとしての出来を比較するとすっきり作れた4本目を本番フレームとすることにしたのです。そして5本目は予備車として現地で私自身が乗る自転車としました。グランボアの新たなフレームは今回のコンクールのハードなコースで充分な耐久テストがなされたと思います。そして何よりもその乗り味について試乗いただいた方からは好評価をいただいています。

 

個別パーツの軽量化については6月の半ばよりのコンクール参加の予告ブログで紹介させていただいておりますので割愛させていただきまますが、通常では為しえないハンドルやステム、キャリアの軽量化では(株)日東様の協力を得ることができました。また今回本番用に採用には至りませんでしたがパナレーサー(株)様に超軽量の36Bタイヤも試作で用意していただいておりました。これを採用していれば自転車本体重量は8kg台に乗せることもできたのです。ただブラックサイドのモデルしか用意できなかったこと、ダート走行には全く不向きであることを考え30周年記念モデルで作った赤の36Bエキストラレジェを使用することにしました。結果としては今回のハードなコースでは試作の超軽量タイヤを使っていたら早々にリタイアすることになったと思われます。この超軽量タイヤは現在テスト中です。また次回のエキストラレジェの生産時には新しいグランボアのタイヤとしてデビューの予定です。

超軽量36Bタイヤを装着したコンクールマシン。8.98kg

 

 

1946年のコンクールマシンの変速機の軽量化

今回のコンクールマシンで最も注目を浴びていたのは何といってもリアディレイラーの極限まで突き詰めた肉抜き加工でした。結果としてはそれがDNFの原因になってしまいましたが、コンクールはトライする行為にこそ値打ちがあると思います。メカの軽量化は私からの指示ではなくそれを担当した店長の自発的な行為でした。毎日70年前のコンクール優勝車を眺めて仕事をしているグランボアではそれは自然なことです。可能な限りの軽量化の努力をせずしてはるばるフランスまででかける価値があるでしょうか。結果にかかわらず、そこで得られたことは今後のグランボアの自転車づくりに大いに貢献してくれるでしょう。

破損対策でCNC加工プーリーに変更しました

グランボアのスタッフは日々お客様の注文からの課題に取り組み、その答えを求めて努力し、解決策を得ています。それが今回のコンクールマシンには充分に発揮されているものと思います。来年もまたコンクールが開催されるのであれば状況が許す限り再び参加したいと思います。それは一つの定められた状況の中でなしうることを各自の中で伸ばすことのできる大きなチャンスであると考えるからです。しかしそれ以上に私が思うのはこんなイベントをこの日本でも開催したいということなのです。日本にも多くの自転車ビルダーがいます。そしてメカニズムとしての自転車を愛好する人たちがたくさんいます。私はビルダーによるワークスチームに限らず、プライベートチームを含めて開催すれば、自転車づくりというハードを楽しむ人が参加できる新しいイベントになりうると思います。今回のコンクールへの参加により、こうしたイベントでの運営面での難しさを知ることができました。できればこの経験を生かして日本で自転車ツーリングを楽しむ新たなステージを用意できれば、もっと自転車の楽しみが広がるのではないかと夢想しています。

 

親方


2017.04.24

グランボアの赤タイヤ

おかげさまで私がアイズバイシクルを開店してから30年の月日が経ちました。これも多くのお客様に支えられてのことと深く感謝しております。そのめでたい記念としてグランボアの650Bの超軽量モデル、エキストラレジェを全種類とも赤くして出すことにしました。

 

この独特な赤色は2007年にグランボアの42Bタイヤ、エートルを発売したときにその標準色として作ったものです。かつてのウォルバーやユッチンソンの42Bタイヤには黒アメの標準的な色のタイヤの他に真っ白とレンガ色に近いオール赤の3種のカラーが存在していました。独特の渋みのあるカラータイヤと地味目に塗られたツーリングのためのランドナーの色はマッチしていて、当時のサイクリストの感性にあっていたのです。

 

グランボアのタイヤを生産いただいているパナレーサーさんにはすでにカラータイヤで赤色はありましたが、それは私のイメージよりも赤味が強く、ちょっとランドナーのタイヤとしてそぐわない色と感じていました。タイヤの色はタイヤのトレッドのコンパウンドの製作をするときに顔料を混ぜて変えることができます。そこで私はオリジナルの赤色を作ってもらうことにしたのです。ところが試作されたいくつかのタイヤはどれも少し明るく華やかな印象のものばかりでなかなか思う色にたどり着きません。粘り強く生産ラインに入る前での調色を繰り返していただき、やっと納得できる独特の渋みのある今の赤色を再現できたのです。

その後もパナレーサーさんの生産体制の変更等でこの赤の生産ができなくなるかもしれないという危機がおとずれたこともありましたが、社内のツーリング愛好家の社員の方の助言もあり今日までグランボアの定番色として作っていただいております。

 

 

 

今回はそうした皆様のご協力とともにあるグランボアの製品のこだわりの部分の表現としてエキストラレジェの650Bタイヤをグランボアの赤で作らさせていただきました。これからも皆様のサイクリングライフを豊かにする一助となれば幸いです。

 

 

*****

【専務より追記】

エートル製作当時、650B規格のタイヤはもとより、42mm幅の高性能タイヤなんて、聞いたことありませんでした。そのうえ、親方がデフォルトで選んだ色は見るからにパッとしない色。

「こんなくすんだ色で良いの?」

パナの担当者さんと一緒に「もう少し明るい赤のほうが良いんじゃない?」と本気で進言したのを覚えています。オリジナルの色の場合、生産最小ロットは通常の倍の数量です。しかも、当時、シプレを喜んで使ってくれていた海外の友人たちも42Bというサイズ、しかも赤タイヤという事でほとんど無関心だったからです。売れないと大変です。

 

ですが、「やっぱりこの色が良かったんだ。」と実感し、各方面から評価をいただくようになったのは実際に完成車に組み付けるようになってからでした。また、太目の高性能タイヤがもたらす乗り心地の良さも革新的だったのです。私を含めて、多くの方がこのタイヤの良さを評価したのはその「結果」を見てからでした。そして、それは最初にアンチパンク材を抜いた時も、後に軽量モデルの実現にチューブラー用のケージングを採用した時も同じなのです。

 

 

エートル(Hetre)とはフランス語でブナ。グランボア最初のオリジナルタイヤ、シプレ(Cypres)に続いて製作されたモデルです。赤を標準色に決めたので日本を代表する落葉樹の名前を付けました。親方のぶれない信念で実現できた奇跡のモデル。こちらも発売から10年目を迎える事となりました。

 

小さな店の夢の実現に長年にわたりご協力下さっているパナレーサー様、そしてグランボアのタイヤをご愛用いただいてます皆様、ありがとうございます。これからもブレずに貫いてまいります。どうぞよろしくお願いします。

 

今回の赤タイヤ、実際に完成車に組み込まれるのがとても楽しみです。

 

親方


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