ランドナーって?

誰もが楽しめる自転車

ランドナーはのんびりとしたサイクリングのために作られています。

ランドナーとは:日本の旅(春) 日本の旅(湖沿い) ランドナーとは:日本の旅(秋)

街を離れ、大いなる自然に没入し、ひなびた山里を逍遥し、古い街道筋の町を走り抜ける。そんな「旅」のための自転車です。

あなたの「旅」のスタイルに合わせて、グランボアはさまざまなタイプのランドナーを提供いたします。

グランボアランドナーの特徴

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グランボアの旅のための自転車づくりの基本は、いかに快適に旅を楽しめるかということです。険しい山道でも、雨に降り続けられても、一日中一生懸命走って「ああ気持ちよかった」と振り返ることができる。それがグランボアのランドナーです。

私たちはそのために必要なタイヤ、リム、ドロヨケ、ハンドル、ブレーキを用意しています。自転車「旅」を楽しむサイクリストための自転車作りを行っています。

ランドナーの歴史

ランドナーの故郷、フランス

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50年代のRené HERSEのカタログより

日本のランドナーのオリジンはフランスの「Randonneuse」ランドヌーズにあります。フランス語で小旅行・遠乗りを意味する「randonnee」ランドネ、そのために作られた自転車がランドヌーズです。

1930年代から50年代にかけて、フランス国内ではサイクリングが国民的レジャーとして隆盛して行きました。パリ郊外にはなだらかな丘陵地帯がどこまでもつながっています。緯度の高いフランスは夏場はいつまでも明るく、仕事が終わってから100km程度のサイクリングを楽しむ事も出来たようです。

需要の増大に伴いフランス国内には大小数百の自転車メーカーが生まれ、競技としてのサイクリングと自転車製造技術を競う大会が各地で開催されました。そうした中からReneHERSEやAlexSiNGER、GOELAND、ROUTENSといったアトリエが技術の粋を凝らした自転車をエントリーし、より洗練された自転車の形を作り上げていったのです。

日本のランドナーの進化

日本で最初のRené HERSE
日本で最初のRené HERSE

日本の旅行用車「ランドナー」は一台のルネ・エルスより始まりました。戦前からの英国流のクラブモデル一辺倒だった日本のサイクリング界にもたらされた新しい自転車の形、それがルネ・エルスだったのです。

1954年(昭和29年)に鳥山新一氏の手によって日本やってきた一台のルネ・エルスのシクロツーリズム。(詳細は「サイクル」No.104誌上で鳥山氏自身の手によって紹介されています。)この自転車を鳥山氏は丸都自転車にいた故打保梅治氏(東叡社初代社長)らとともに分析しました。その軽量化のための技術が丸都製JCCサイクリング標準車に取り入られたのです。これが後のランドナーの形へ大きく影響しています。

昭和33年の東叡社の広告
昭和33年の東叡社の広告

1955年(昭和30年)設立まもない東叡社から発売された「ランドナー」が日本で最初のランドナーのスタイルを確立したモデルで、タケノコ式のオリジナル変速機とエルス型のカンチブレーキが装着されていました。翌年にはキャンピングバージョンとして有名な「ブルーバード」が発売されています。

日本の自転車業界の人達はエルスはじめとするフランス製ツーリング車を輸入・研究し、日本のランドナーを作り上げていったのです。1963年(昭和38年)発売のブリヂストン「スーパースピード」はマスプロメーカー最初のランドナースタイルのツーリング車でした。それはその後のダイヤモンド・ユーラシアとつづく同社のツーリング車の系図へと連なっています。

昭和39年のブリヂストンの広告
昭和39年のブリヂストンの広告

1970年代に日本のランドナーは隆盛を迎えます。ランドナーの優美なスタイルに魅せられた多くのサイクリストが個性を競い合うかのように大小さまざまなメーカーを通じてランドナーを作りその自転車で旅をしていたのです。

その後アメリカからやってきたマウンテンバイクやトライアスロンがブームとなり、日本でもそうした米国流の自転車の楽しみ方がさかんとなりました。フランスでは60年代以降はは小さなアトリエで自転車を作るアルティザンと呼ばれる自転車職人の店が次々と消えていきました。かのルネエルスも1985年に店を閉じ、90年代にはアレックス・サンジェを残すだけとなっていました。しかし熱心な日本の愛好家はフランスまで出かけサンジェをオーダーし、さらにフランスから持ち帰ったパーツで彼らの理想とする古き良き時代の美しいランドナーを作り続けました。そうして細々とではありましたが絶えることなく続いたランドナーづくりの伝統が極東の日本に息づいていたのです。

日本の旅:橋の上

日本の旅:小豆島
ランドナーとは:日本の旅(実りの秋)

21世紀になり世界の自転車生産の中心は台湾へと移り、カーボンファイバーをつかったフレームづくりが高級自転車の主流となりました。その製造過程は最先端の工業技術に裏打ちされて、スポーツ自転車用に最適化されたフレームを高精度で大量生産することが可能になりました。もはや熟練の自転車職人は不要となってしまったのです。そしてスポーツ車を構成するパーツもカーボンフレームに合わせて設計・デザインされ、繊細な美しいランドナーのフレームには不似合いなものへと変化していきました。

日本はかつてたくさんの自転車メーカーとそのためのパーツメーカーが存在していました。現在の台湾のように世界中へ自転車を供給していたのでした。そうしたメーカーの多くは台湾へ移ったり消えてしまったりしていますが、数社のメーカーは今も日本で生産していてその高度な技術を商品として世界中に提供しています。グランボアではそうしたメーカーのご協力のもとランドナーに特化したパーツやフレームを作っていただいているのです。

近年アメリカではカーボンフレームに代表される画一的な自転車づくりに対抗する流れが出てきました。彼らはスチールパイプによるフレームづくりを自ら行い新しいスタイルの自転車を作りだそうとしています。フレキシブルなフレームレイアウトが可能なスチールパイプによる自転車づくりのなかで、新しい自転車のスタイルの一つとしてランドナーを作りだそうとしているのです。そして同時にマウンテンバイクの世界で650Bのホイールサイズに対しての関心をもつ人々が出てきました。彼らは彼らの生みだしたマウンテンバイクの改良を常に続け、その選択肢の一つとして旧いランドナーのホイールサイズであった650Bサイズのホイールを新しいマウンテンバイクのサイズして、26と29の中間サイズの27.5インチと呼んで取り入れようとしているのです。

世界の自転車作りは日々変化していますが、グランボアは日本のランドナーを日本と世界中の自転車愛好家の方々に親しんでいただくことを心がけてまいります。

GRAND BOIS とは、フランス語で【グランボア】と発音します。
「大きな森」を意味するこの語は、フランスのサンテチェンヌ
という街の小さな峠の名前でもあります。

1800年代末、自転車の変速機を発明したポール・ビビ(Paul de Vivie)
通称(Velocio)という「自転車業界の父」と呼ばれた
偉人の碑が、今もその峠にあります。

グランボアが目指すもの

1960年代から70年代にかけての自転車界における「黄金時代」。

今ではほとんど見かけることのなくなった
「美しい」「趣のある」自転車の礎を築いた偉人縁の地を、
敬意と憧れをこめて私たちの自転車のブランド名としています。

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