壱岐対馬ツアー
1月末に壱岐対馬に行ってまいりました。
壱岐対馬は古くから大陸との交易の拠点とされた一方、その地理的位置から軍事的に大きな影響を受けてきた地でもあります。地図で対馬を見ると韓国との近さを実感します。釜山まで50km程しか離れていません。対馬と釜山間には高速船の定期航路が存在し、多くの韓国人観光客が対馬に訪れています。
壱岐対馬へは博多からも定期便が出ていますが、今回は大陸から文化が入ってきた頃と同じように釜山から博多へ目指すプランを計画しました。
【使用五万図】
佐須奈、三根、仁位、厳原、勝本
*五万図とは国土地理院発行の1:50000地形図のことです。
【1日目行程】
釜山→JR九州ビートル→比田勝(対馬)→自転車→厳原
1月27日、輪行袋を担いだ私は釜山港にいました。
予約しておいた比田勝行き〈ビートル〉はJR九州が運航する定期便ですが、他に韓国資本の〈未来高速〉と〈大亜高速〉も対馬・博多行きの航路があり、国際ターミナルは日本へ渡航する韓国人旅行者であふれていました。
午前9時、ビートルが出航しました。定員200人のジェットホイルはほぼ満席でしたが、日本人は一人だけだったようです。テレビに映る対馬の観光PRビデオを見て約1時間。比田勝港に入港しました。
ターミナルで税関の方とお話ししましたが、やはり日本人の利用者は少ないそうです。
ターミナルでランドナーを組み立て出発します。日本の島では奄美大島に次いで面積が広い対馬は山がちな地形です。小ぢんまりとした漁村は峠で繋いであり、長崎県道39号はアップダウンが続きます。
漁村から海を眺めると入り江の先に離れ小島がぽつぽつと浮かび、穏やかな風景にペダルを漕ぐ脚も軽くなります。
舟志川から東に入り、静かな林道を超えると茂木の集落に入ります。
ここの浜辺は1905年に茂木浜沖で繰り広げられた日本海海戦で撃沈されたバルティック艦隊のロシア兵が上陸した地であります。ロシア兵を発見した島民は救助にあたり食事や焼酎でもてなしたそうです。
誰もいない海水浴場の脇には記念碑と、後に引き上げられた巡洋艦ナヒモフの主砲が鎮座しています。美しい海水浴場に不釣合いなその大砲は、ここに据えられた理由を知る由も無いでしょう。
昼食に志多賀の商店で買った弁当を食べ、万関瀬戸へ向けて南下します。対馬は元々一つの島でしたが、軍事目的で山が開削され南北に二分されました。
橋の上から明治33年(1900年)に開削された運河を見渡すとその規模の大きさに驚かされます。
国道から東へ逸れて、緒方の集落を抜けます。かつては軍道だった険しい山道を登ると天空の要塞と称される砲台跡が現れました。姫神山砲台跡です。
日本と大陸の中間に位置する対馬は国防の最前線として明治20年(1887年)より30ヶ所を超える砲台が建設され、島の要塞化が進められました。
明治34年(1901年)竣工の重厚感のある赤煉瓦がもの寂しく残され、不気味な雰囲気が漂っています。観測所に登ると見事な展望で、対馬海峡の美しい景色が一望できます。
日暮れが近づき急ぎ足でペダルを回します。厳原のホテルに到着しました。宿の方のご厚意でシャッタ付の倉庫にランドナーを置かせてもらいました。
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【2日目行程】
厳原→九州郵船フェリー→芦辺(壱岐)→自転車→郷ノ浦→九州郵船フェリー→博多
翌日はフェリーで対馬を離れ壱岐島に上陸しました。博多行きフェリーの出航まで壱岐ツーリングを楽しみます。
「寒かけんポッケに入れていけ」宿のご主人に頂いた缶コーヒーでポッケを膨らませ厳原港へ。8時50分発の〈九州郵船フェリーちくし〉は壱岐島の芦辺港を目指します。
対馬海峡にはイルカやクジラが多く生息していると聞いたので、コーヒーを飲みながらデッキで海を眺めていましたが見つけることはできませんでした。芦辺港に入港し車両甲板で上陸を待ちます。
芦部から西へ進み鬼の窟呼ばれる古墳に寄りました。一帯は6世紀後半の大規模な古墳群をなしています。遺跡からは新羅産の遺物が多数出土されるなど、かつて壱岐がアジアとの交流の要所であったことがうかがえます。
さらに西へ進み昼頃には湯本温泉に到着しました。土産屋の壱岐娘に勧められた平山旅館で入浴することにしました。ここの温泉は神功皇后が産湯に使ったとの伝説が残された歴史のある温泉だそうです。褐色の熱いお湯に旅の疲れも癒されます。
潮風が爽やかな海岸線を走り抜け、次に訪れたのが猿岩。全国各地にこの類の岩が存在しますが、今まで見た中で一番リアルでした。岬の草原からは岩を間近で見ることができます。
猿岩の近くには黒崎砲台跡があります。黒崎砲台は壱岐要塞の一つとして対馬要塞とともに対馬海峡防衛を目的として昭和8年(1933年)に竣工しました。
ここに据えられた砲台は、巡洋戦艦赤城の主砲が砲台砲塔に転用されたものであり(諸説あるようです)、35kmという射程距離から東洋一の砲台と呼ばれたそうです。一度だけ試射されましたが実戦で使用されることはなかったそうです。
海岸沿いのアップダウンを南下しフェリーの出航まで時間があるので牧崎に寄ることにしました。牧崎は海岸浸食によってできた大穴が岬の草原の中にあり観光スポットになっています。解放感のある草原は穏やかな空気が流れています。
郷ノ浦港へ一気に下ります。午後5時45分〈九州郵船フェリーきずな〉は博多へ向けて出航しました。風が吹き付けるデッキで缶コーヒーを握りしめ、うす暗い海を眺めます。旅が終わります。
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