今年のポリージャポンのことなど
お蔭様で無事退院してきました。
入院に当たりましてお見舞いの言葉をいただきました皆様にはお礼申し上げます。
10日間のお休みをいただいたようなものだと、今はとても身も心もリフレッシュされた気分です。
やはり入院中はとても時間がありましたので、好き放題に過ごしていましたがちょっとは仕事もと思いまして、先月の半ばに開催されたポリージャポンについてのレポートを上げさせていただきます。
ポリージャポンというのは浅麓堂の中堀氏が33年前に始められた自転車オタクのミィーティングで、10月の第3土曜日に長野・安曇野で開催されます。私もいままで2回ほど欠席しましたが初回以来参加させていただいており、常に刺激を受けるイベントなのです。
このポリーのメインイベントは土曜の晩に行われるコンクールデレガンスで、毎年テーマが決められて、このためにわざわざ一台仕立ててエントリーされる方が何人もいらっしゃいます。今年のテーマは「1951・52年に作られたカンパニョロ・グランスポルト・エキストラを仕様した自転車」です。これは実は昨年のポリーで次年(つまり今年)のテーマ決定の際に私が提案したもので、マニアの間で「ご神体」と呼ばれ珍重されるカンパニョロ・グランスポルト・エキストラを使った自転車というものをほぼほぼ見たことがないという動機に拠ります。
カンパニョロ・グランスポルト・エキストラは現在使われているディレイラーの基本的動作方式であるパンタグラフ式ディレイラーの元祖ともいうべきモデルで、そのプロトタイプで1950年製のWワイヤー式ものが存在しますがそれは生産数が僅か5個と云われていて、カンパニョロ本社に展示されているものが唯一確認されているだけです。これに対して1951年モデルは細かなモデルチェンジを行って数多く生産されており、また52年モデルは相当数が製造されたようです。
このグランスポルト・エキストラのデザインはその後グランスポルトからレコードそしてスーパーレコードへと、1980年代の末まで30年以上にわたって受け継がれるのです。その力強いギリシャ彫刻のような造形は、1950年代から70年代のロードレース用機材におけるカンパの勝利とシンクロして常に憧れを持って受け止められていました。その源流となったグランスポルト・エキストラを使って一台の自転車を仕立てるために、そのコンセプトやスペックを具体化するとなるとなかなかの想像力を要求されます。私も50年以上趣味のスポーツ自転車の世界に身を置いていますが、実際に組み込まれたものを見たのはファスト・コッピが乗車していたビアンキと、あるマニアの方がレストアした1952年製のエルスのクルスルートの2台だけでした。
実際に当時に組み上げていたものであればそれは当然完成形として受け入れられるのですが、この「ご神体」をもとに一台を作れと言われますと、変速機が重すぎてほかのパーツをどうするのか、どういう形の自転車とするのか思い浮かばなかったのです。でも30年以上の長きにわたってポリーに参加されている皆様であれば、私の問いに解を与えてくれるのではないかと考えての提案だったのです。
今回のポリーは私にとっても荷の重い課題だったのですが、一人のお客様がそこに答えを出してくれました。それが今回コンクール2位を獲得されたH様のJane Doe号です。
H様は服飾関係のお仕事をされていて、デザインや色遣いにも深くこだわりをお持ち方です。ポリーに参加される様になられたは比較的近年からなのですが、毎年テーマ部門にオリジナリティある解釈のもとに積極的な出品をされていらっしゃいます。またグランボアというよりアイズバイスクルの旧くからのお客様でもあります。
そんなH様が私の提出しました課題に対して早速に動かれ、まずはグランスポルト・エキストラの手配を頼まれてきました。こちらのネットワークを使いまして、まずは1952年のバーコンセットを手配することが出来ました。
これに対してH様からは手持ちの1970年製「エバレスト・チャンピオン」のフレームを使って一台組み上げたいとの申し出です。日本でも屈指の旧いスポーツ用自転車のメーカーであった土屋製作所のエバレストであれば、かなり自由度の高いパーツ構成で完成車にすることが出来ます。早速にフレームを送っていただきましてチェックしましたところ、エバレストのフレームの年代特定の決め手のフレームナンバーがちょっとおかしいことに気が付きました。H様に確認しましたところ入手時には東京上野の横尾双輪館様のブランド「ホルクス」であったとのこと、横尾様でこれは土屋製のフレームであると教えられて、エバレストとしてレストアされたとのことでした。ですので私のところへ届けられたフレームにはエバレストのデカールが貼られて、旧い富士山型のエバレストのヘッドバッヂが取り付けられていました。このフレームがエバレストであることを確認するために当時エバレストでフレーム製作に携われていたのK名人へ問い合わせましたところ、このフレームはエバレストではないことが判明したのです。
これに自身によって使い込まれたパーツと必要なパーツを組み込まれて完成車としていました。それを旧いエバレストのチャンピオンの形にレストアして「ご神体」を組み込もうというプランでした。しかしこのフレームがエバレストではないということになりますと、もはやこのフレームを使用することが出来なくなってしまいます。そこで私が提案しましたのがグランスポルト・エキストラ以前のカンパの主力変速機であったカンビオ・コルサ用のフレームをベースにこれをグランスポルト・エキストラ仕様のフレームへとコンバートして使用することでした。元となったフレームは以前アイズのイベント「Coppa del Cambio Bacchetta」でスタッフ用に使っていたフレームです。
このフレームはカンビオコルサ用としては珍しく530mmと小さめでH様にもご乗車いただけるサイズで、50年代ものにもかかわらずイタリアンカットラグに肉抜き加工がされている特異なモデルでした。カンパがグランスポルト・エキストラを出した当初当然レース用のフレームの多くはこのカンビオコルサ用フレームでフレームエンド上面に独特のギザギザが刻まれていて、グランスポルトに始まるディレイラーをぶら下げるための専用ブラケットはなかったのです。当時カンパはこうしたフレーム用に新製品であるグランスポルトを取り付けることが出来るよう、エンド下部にロー付けで追加できるブラケットを用意していたのです。これをさるカンパマニアの方から入手出来て工房でロー付けしました。
これでフレームを確保することが出来ました。ここからがH様のこだわりで、フレームの塗色にはホンジョさんの紫色の菱形補強版を持ち込まれて、共色で泥除け・ポンプを塗装し、さらにはクランクアームはスーパーレコードの最終型として、その5本のアームの溝にフレームと同じ紫のペイントを入れるようにとの指示でした。
H様はバーテープとストラップは生成りのものをご自身で紫に染めて用意されるとのこと、バーテープは革の編上げ式とのこと、メッキ直したチネリのステムとハンドルにブレーキレバーをセットして送り返して、ご自身で編上げされました。最終的にストラップとトーリクリップのカバーまで紫に染めた革製のものを用意いただきました。私は日泉さんのクリアパープルのビンテージアウターを組付けております。そこにH様の希望でアイボリーの胴抜き塗装です。マークは元々がメーカー不詳ですから、H様がフランス語で名無しの権平を意味する「Jane Doe」を選ばれて完成したのです。
このカラーコーディネイトで完成した姿がこちらです。
パープルの発色は難しくなかなか上質な色合いが出ないのですが、今回はほかの紫色のパートとも調和して胴抜きのアイボリーとも相性の合う色で出来上がったと思います。シフトレバーは1951年の真鍮製のWレバーを別途用意、ハブにはカンパグランスポルトのラージハブを32×40の組み合わせでセット、サドルはご自身で使用されていたと思われるブルプロの真鍮バッヂモデルです。落ち着いた雰囲気のイタリアンスポルティーフが出来上がりました。私的にはグランスポルト・エキストラの持つ重みとのバランスを損なうことなく、うまくまとめられたのではないかと思います。ポリージャポン・コンクールデレガンス2位となりました。
さて次は私がポリーのために用意したグランスポルト・エキストラの一台です。なんと云っても言い出しっぺの私は一台用意しなければならないでしょう。でもH氏の出品車の製作作業を行いながら、どうしたものか全体像が浮かんでこなかったのです。ポリーまであと2ヶ月となったこの頃、滋賀県でトーエイオーナーズミーティングが開催されました。主催者のK氏より強く参加を要望されていましたので、これは暫くぶりにTOMを覗いてみようかなと思い出かけてみたのです。会場のホールには創業70周年となる東叡社の素晴らしい自転車が数多く並べられていました。それぞれに手間ヒマかけて作られたものが持つオーラのようなものを会場いっぱいに漂わせていました。その帰路スタッフを務めておられたO氏と奥様を米原の駅までお送りしてから店へと戻ったのですが、一人になって考えているとたくさんのトーエイから浴びた霊気に当てられたのか、「ご神体」を使って作りたいと思う形が浮かんできたのです。それが今回ポリーにエントリーしたマラストーニです。
ペースとなったフレームはイタリアで最も親しく付き合ってくれていたエンツォ氏から譲りうけたマラストーニの街乗り車用のフレームです。一応完成車用のパーツを一式つけて送られて来てはいたのですが、今回のレストアのために大幅に仕様変更しました。そのまま使用したのは泥除け一式とヘッドセット、シートポストにシートクランプぐらいとなっています。
このフレームはブレーキケーブルと変速ケーブルが内蔵で、ステッキ型チェンケースのための台座がついています。フロントフォークには右ダイナモ用の小振りなステーが取り付けられています。塗装はバッヂを外すと元々のブルーメタリックがでてきたのですが、再塗装されていたグレーのメタリック色がなんとも渋かったのでこの再塗装のガンメタの明るめの色で塗り直すことにしました。問題はメッキでフレームエンドの両サイドの外側がヤスリで削られたように傷ついていました。ポリーまで約1ヶ月あまり時間はないのですが、再メッキすることを決心してまずは塗装の剥離に出します。塗装屋さんには元色の色見本を用意することを指示しながら剥離してもらいます。これで約一週間ほど時間がかかります。剥離完了後すぐに再メッキに出しましたが、ちょっと欲張って剥離によって出てきたメッキ部分追加して、シートラグとケーブル内蔵の各出入り口もメッキ出しにすることにしました。おそらくこの再メッキにはどんなに急いでもらっても2週間以上は掛かります。それでも10月の頭に塗装へ廻せればポリーの一週間前にはフレームやフェンダーの塗装ができるのではないかと推測しました。
その間にデカールの用意です。以前50年代のカンビオコルサ仕様のマラストーニのレストアのために製作したデカールが残っていたので今回はこれを使います。問題はステッキ型のチェンケースに使用するマラストーニのマークです。当初ダウンチューブ用のもので事足りるかと考えていたのですが、これが甘かった。それでは大きすぎてチェンケースのシールを張るべき場所からはみ出てしまいます。そこで急遽いつもシールでお世話になっている大阪のH氏にお願いして縮小版を作っていただきました。でもポリーまで10日と迫ったこの時点で塗装のタイミングには間に合いそうもなく、この時は最悪ポリー会場入りしてからの貼り付けも覚悟しました。
さてパーツですが、すでに1952年製のグランスポルトのRメカだけは懇意にしていただいているお客様から分けていただいて準備してありました。
この「神体」(私は1951年モデルを「ご神体」、1952年モデルを「神体」と呼んでいます。)を入手してこれを使用するのはフルスペックのレーサーモデルではなく、街乗り用の自転車になるのだろうなと思っていました。そして東京のカンパの超マニアの方が出されたカンパコレクション本に掲載されていたシングルレバーを組み合わせてみてはどうかとボンヤリ考えていたのです。でも純正のハンドル用レバーは実物すら見たことのない超レアものでほぼ入手不可能の状態でした。そしてのポリーでの帰途で思いついたのがレバーをハンドルに直付けすることだったのです。幸い直付レバー台座であればいくらでもあります。そしてチネリの鉄のステムブレーキレバー一体のフラットバーも幾種か在庫していたのです。その中からメッキをやり直さなければならないものを加工してメッキをかけ直すことにしました。ですからまずTOMの後すぐに行ったのは倉庫から適当に錆びてたハンドルを捜しだすことでした。これを市内のメッキ屋さんでメッキ剥離の生地状態にしてもらいシフトレバー台座をロー付けしました。ついでに2か所ほどあった凹みと穴も修正しました。これもほぼ一週間で完了です。そうして塗装剥離の完了したフレームと一緒に東京のメッキ屋さんへ送っての再メッキでした。これがこの自転車のミソ、シフトレバーハンドル直付け仕様というおそらく前代未聞のスタイルです。またシフトレバーが最初期グランスポルトのレバーですのでアウターを受ける部分がしっかり受け止められる形になっていて打ってつけだったのです。このレバー以降の新しいカンパレバーではダメだったのです。
ハンドルのほかのパーツも倉庫から一通り捜すことができました。ホイールはカンパのスポルト(オール鉄)にグランボアのビンテージリムで組まれたのもが長いこと倉庫にころがっていたのでそのまま使えます。
クランクは元々ニュッティのコッターレスのチェンケース用があったのですが、コンディションもあまりよくない。何かほかに適当なものはと捜すと似たようなコッターレスですがかなり変わった作りのFB製のものが出てきました。これはかの地ですでに再メッキされていてまあまあの状態です。これを採用することにしてチェンリングが問題になりました、この手の5visタイプのイタリア製リングはすべて厚歯チェン用です。今回は5速での使用ですので薄歯にしなければならない。薄歯加工ためには専用の治具を製作する必要があるのです。でも困ったときの救い神様がグランボアにはついています。すでに幾度か薄歯加工も経験済で、その時に製作した治具を応用して何とか加工できそうとのこと、手元にあった44Tの厚歯リングを薄歯にすることが出来たのです。
チェンケースはBBの右ワンとシートステーの台座で固定するステッキ型のものが一緒についてきていたのですが、錆がひどくこれをメッキしなおすのはとても手間がかかりそうということで、ケース本体は同じ外見ながら止め方がちょっと異なるものの新品在庫があったのでこちらを使うことにしました。
フェンダーは元々ものと思いきやフレームに当てがってみると下ブリッジへの取り付け穴の位置が一致しません。オリジナルではないのかと思いつつ、リアフェンダー用のステーの形状が気に入ったのでこれを採用します。材質はステンレスで当時のビアンキなどにも使われていたものと一緒です。これをまず磨いて傷を消しておきます。フェンダーが光るとステーの取り付け用の金具(カンザシ)の座が気になってきます。元々亜鉛メッキ仕上げですので研磨の必要もなし、とりあえずカシメをほどいて全部外しです。ステーはといえばとてもメーカーが製作したとは思えない加工具合です。フロントのエンド部での固定部分の曲げ加工があまりに大雑把だったので曲げ直しました。気に入るまで曲げ直していたら片方が折れてしまい4mmの鉄の丸棒から作り直しました。ただそのままでの生の鉄棒では柔い、トーチで炙って赤く焼いてから水の中へジュ! これでしっかりした固いステーになりました。カンザシへの固定用ナットも一部なくなっていたので改めてサイズの合う袋ナットを使って用意しました。ステー類はすべて青味を抑えたユニクロメッキという指示で市内のメッキ屋さんへお願いしました。おそらくポリーの週の月曜にはできるはずです。
ブレーキはレバーがチネリのハンドルには元々ついています。アーチはこの際ほかのパーツがほぼ鉄ですので、同年代のアグラッティの鉄のサイドプルがあったのでメッキをやり直して使うことにしました。
サドルはセライタリアの一枚革、鉄の板ベースのもの、裏側にスプリングが貼られたまさに街乗り紳士用です。サドルの両サイドはイタリアの地図が刻印されています。
ペダルは悩みました。最適解のペダルはWAのゴムペダルなのでしょうが、以前グロリアのレストアに使用してしまっていて、手元残ったこぎれいなものはシフィールドのクイル型ぐらいしかありません。いろいろと悩んでebayのサイトを探ってみたところUnionの街乗り車用のペダルにすっきりしたものが見つかりました。踏面プレートの外側にプラのリフレクター板がはまっていたので外してよりスッキリさせました。
最後にライトです。イタリア物の右ダイナモも無いことはないのですが、太っい胴の重たそうなものしかありません。ランプもダイナモに同調するかのように大きな砲弾型になってしまいます。700Cの細い線で構成されたシティバイクにこれはないようなと思い、閃いたのがアイズでも扱っているKileyのランタン型のUSB充電ランプです。これはKileyの最初のころの製品で、台北ショーで初めて彼らの製品を見つけた時に出していたものです。そのデザインが細くクラシカルで、フロントフォークのダイナモステーに取り付けても似合うと思ったのです。
間に合うか不安だったチェンケースのシールもポリー5日前に無事とどき、その水曜日に組み始めまることがてきました。ほかの仕事もちょいちょい間に挟みながらもなんとか前日には完成できたのです。
トップチューブにはハンドルが当たって傷つくのを防ぐためのフレームカバーが取り付けてあります。
マラストーニという伝説的なブランドですから、フレームの作りはしっかりしていてラグの仕上がりもかっちりしています。イタリアンテイストに溢れていてとても好感が持てます。フロントフォークもきれいな弧を描いて曲がっています。そこにグランスポルトエキストラのメカはマッチしていると思います。ポリーのコンクールでは3位でした。
優勝はというと私の先輩U氏の1950年のチネリ・スーパーコルサでした。やはりイタリアンビンテージを代表するブランドで、何よりも当のチネリ本社から入手したというモデルは素晴らしいものです。当然ながらマジストローニ製のチネリクランクから始まるパーツ、そしてフレームの部材、エンド・ラグ・クラウンに至るまで完璧でした。4mmアジャスターエンドのチネリは初めて見ました。
来年のポリーのテーマは確か「お気に入り部品から生えた自転車」だったように思います。これは良さげなお題です。是非一台つくならければ、今度は自分でフレームを製作していきます。
追加 グランボアの出品したこのマラストーニはグランボアのショッピングサイトでご購入いただけます。フレームサイズは芯々で550mmですので、サイズの行けそうな方は是非ご検討ください。
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