コンクールに出場した自転車についてはconcours de machinesのHPやFacebookを通じて発信されているので、すでに多くをご覧になっていると思います。ここでは期間中に私が気になった自転車・モノを紹介させていただきます。
コンクールの初日、プレゼンのためにコンクール本部建物の前で待っていると審査員のひとりRaymond Henry氏がやってきました。まず彼の乗ってきたアルミフレームのランドナーに釘付けにされました。

シクロランドナーのついたアルミフレームのランドナーといえばBarraです。でもよくよく見るとフレームにはPitardのマークが残っています。

このアルミのランドナーは1949年のコンクール「Les 24 Heures d’Auvergne」に出場したPitardのコンクールマシンとのことでした。シートチューブを貫通する形のLe Chatのフロントメカやブレーキレバーへの変わった加工など特殊工作が満載です。

LE CHATの直付フロントメカ

MAFACのレバーは太鼓が抜けることのないように改造してある
帰国後に古いLE CYCLISTEを調べるとみるとこのオーベルニュのコンクールについての記事があり、まさしくこのPitard-Barraの写真とイラストが出ていました。

LE CYCLISTE 1949年10号より 8,9,10,11のイラストがそのまま

右の写真に写っているマシンそのものです。
もう一台ビンテージのすごい自転車がLe Chemineau

Le Chemineauはべロシオの弟子のひとりJoanny Panelの作ったブランドでスライド式外装変速機の原型となる変速機を装着しています。かのシクロランドナーがライバルとした画期的な変速機でした。

持ち主の方はこれをフリマで見つけたとのこと、フランスの田舎ではフリマがあちこちで開催されていて、80年前の自転車もこんな素晴らしいコンディションで出てくることがあるのですね。
もう一台、こちらもジャッジの一人であるDavid Agrechさんが乗って来ていた通勤用自転車とのこと、台湾でつくらせたというフレームにフロントシングルで気負いのない造りになっています。泥除けとフロントバッグがついていますがこのフロントバッグが独創的で仕事用のノートパソコンを運ぶために縦長にして、フロントキャリアは使わずフック式のホルダーでバッグ全体をホールドして路面振動を抑えて精密機器を保護しています。ジル・ベルトゥーでの特注品です。

さて実走2日目が終了すると各コンクールマシンは広場の展示台に飾られます。ここでゆっくり出走車を見ることができるのです。
今回Gilles Berthoudが持ち込んだのはこれ

中央の長髪の人物がGillesのフレームビルダーのVincent Crétin氏
クロスドシートステーにフロントパニアキャリアの一見普通のランドナーですが、実はフロントバッグの底にモバイルバッテリーを収めていてフロントハブダイナモで発電した電気をいったんためてライトやGPSに給電する仕かけになっています。これは実は今回のコンクールではなく、今現在まさに行われているtranscontinentalというベルギーからギリシャまで4000kmもの距離を8日間以上かけて走るレースのために作られた自転車とのことでした。GillesのパイロットVictorはこの自転車でコンクールのダートのコースを走って、いままたギリシャ目指して走り続けています。
今年多く目についたのは輪行に対応した仕掛けを取り入れたモデルです。

今年優勝したPechtregon。昨年3位で特徴的なフロントフォークと落ち着いたブルーのカラーリングは昨年同様ですが、大きく変わったのが分割式泥除けがついて、シートステーの上端がアーレンキ留めになっていて後三角がBBを中心にそのまま前へ廻って折りたためる輪行に対応したフレームになっています。

こちらは昨年優勝のVictore Cycles。今年は残念ながら結果がでなかったようですが、こちらはダウンチューブがS&Sのカップリグ、シートステーとトップチューブの接続はリッチーのBRAKE-AWAY方式でシートピラーを引き抜くと分解する仕掛けになっています。
そのほか目についたところでは
ジャッジ賞のVAGABONDE CYCLES。カンパ・ポテンザのシルバーパーツで纏められていてスッキリ。

総合3位でイノベーション賞を贈られたCYFAC。カーボンのオーダーフレームメーカーです。今回はなんとカーボン製のフロントキャリアを作ってきていました。
今年からいろいろな国から参加してます。
スェーデンから参加のPatrik Tegnérは日本的なランドナーの作り手。

オフセットの大きなフォークもきれいに曲がっています。
スェーデンでは Tegnérさんを含めて5人ほどで共同の工房で自転車を作っているとのことです。
スロバキアから参加のARKO BICI

そして今回のコンクールで事前から最大のライバルと考えていたのがアメリカのJPWegleでした。納期が数年待ちというアメリカ随一のランドナービルダーです。

とっても穏やかな職人らしい方で、自身のランドナーを駆って走る姿が今は亡きエルネスト・シューカにそっくりなのには驚きました。
申し訳ありません。JPWegleの出走車の写真を撮り忘れていました。今回彼の持ち込んだマシンの重量は9.7kgでグランボアより0.2kg重いだけでした。パーツスペックを考えますとグランボアとの差がたった200gとは信じがたい数字です。フレームチューブをよほど軽いものを使いませんとここまでの数字は出ないのではないでしょうか。フレームチューブのスペックは公表されておらず、フォークとステーはメッキ出しなのですが、赤味を帯びた色でプレス発表ではニッケルメッキとのことでした。ただニッケルメッキでは錆びやすくメッキ出しの意味がないように思います。今現在極薄パイプといえばステンレスチューブのレイノルズ953の0.5/0.3/0.5でしょうか。ステンレスで磨きだしであれば赤味掛かったフォーク&ステーも説明がつくのですが、エンドの差し込みにローの痕が見えません。今回の最大の謎はJPWegleのパイプです。
そして今回の収穫はイデアルサドルです。

イデアルのサドルがフランス人の手によって製作されています。かつてのイデアルの職人についてなめし方を習得して、イデアル90をかつての優美な姿そのままに復活させています。サドルトップのダニエル・ルブールのサインまでルブールの縁故者に了解を取り付けてしっかり入れられています。

年間生産が150個たらずだそうでとても供給が追い付きません。会場のブースでいっしょに話しているのはスゥーデンのビルダーで去年の11月にオーダーしたサドルはまだかいなと尋ねていました。
番外編
自転車ではないけど変わった車が路駐していました。かのメルセデスの万能自動車ウニモグです。
このウニモグは農業用の車両のようなのですが、線路も走れる仕様になっていました。
コンクール参加者にはこんな車に乗ってくる人も

とどめは初めて目にしたスーパーカー「ランボルギーニ」

宿泊した家の隣家のものだったのですが野太いエンジン音をあげていました。
FIN
グランボアは6月29日から7月2日までフランス南部のリゾートAmbertで開催されたConcours de machinesへ参加してきました。すでにスタッフによるレポートがこのブログやSNSを通じて出されていますので、多くの皆さんにその実際がお伝え出来たと思っています。グランボアの主宰者である私はそもそもの参加の経緯や準備について、また今後の展開についてお話したいと思います。
昨年のConcours de machinesは2016年の3月にフェイスブック上にその開催がアナウンスされました。それはかつてのフランスランドナー文化の黄金時代に開催されたいた「コンクール・デュラルミン」の復活を告げるものでした。17チームがフランス国内から参加して行われていました。当然その時も叶うならば参加はしたかったのですが、僅か3ヶ月でそのための自転車を作り上げて、さらには参加のための諸準備を完了させることは不可能でした。大会後、リヨン在住のフランス人の友人が参加車両の写真を多数送ってくれました。また実際の大会での走行シーンなどSNSを通じて流れてきて大いに興味をそそられると同時に、その出走車の多くがMTBのようなスタイルの自転車だったことに失望を覚えたのです。私はフランスの伝統的なランドナースタイルこそ彼の地で再び復活するべきであると常々思っていました。わずかにアレックス・サンジェとジルベルトゥーなどがそのスタイルを守りランドナーを作っていましたが、サンジェは早々に不参加を表明していて、ジルベルトゥの他わずかな参加者が現代的ランドナーを出走させていたにすぎなかったのです。
2016年ジルベルトゥーのコンクールマシン
そうしてその年の暮に2017年のConcours de machine開催のアナウンスが流れました。当然私は即座に申し込みました。それは主催するフランスの人たちにとっては全くの意外な申し込みだった様で、どうしてこのイベントを知ったのかを尋ねられる始末でした。年若いフランスの人たちは極東の果てからエントリーされるとは夢にも思ってなかったようです。かれらがこのイベントを起こした主たる目的はフランスの自転車製造技術の再興なのです。かつてのようにアルティザンと呼ばれる自転車を作る職人たちが己が技術とアイデアで作り上げた自転車を持ち寄って競い、交流することによってもう一度フランスの自転車文化を促進発展させようとするものなのです。
このイベントにはテーマがあります。それはかつてのイベントと同様に「軽量ランドナー」であり、その軽さと耐久性・オリジナリティを競うのです。そのためにみな知恵を絞って、オリジナリティあふれる、それでいて実際のハードな走行に耐える自転車を製作して集うものと私は考えました。私の手元には1946年のコンクール・デュラルミンで優勝した一台のサンジェがあります。それはフレーム状態で長らく残されていたもので、先代のエルネストが亡くなる直前に私の願いによって実際に使われていたパーツを捜しだして組み上げてくれたものです。パーツひとつ一つの隅々まで手を入れて、軽量化の極致を求めたこのコンクールモデルは、使われているパーツの形式や素材は多少異なりますが70年以上たっても自転車の基本的な構造は変わっていないのです。まさしく自転車製作者にとってはこれ以上ない目標でありお手本です。その造形の思想をふたたび蘇らせることを一つの柱として私はグランボアのあるべき軽量ランドナーの形を考えていきました。

エルネストと1946年のコンクールマシン
まずはフレーム作りから始めました。それまではグランボアの自転車は私の考えたフレームコンセプトを何社かのフレームメーカーにお願いして製作していました。しかしこのコンクールの主眼はオリジナルの自転車を作る者たちがフレームから製作して組み上げた自転車を持ち寄ることでした。
キャリアづくりはすでに10年以上行っていて、この間にフレームづくりのための冶具や旋盤は用意していました。私はこのイベント参加を目標にフレーム作りを一気に進め、まずは1月の半ばに科学館で行われる日本のビルダーの集まり「ハンドメイドバイシクル展」に出品すべくフレーム作りに取り掛かったのです。その一本目のフレームは12月の仕事納めの後、自宅の工房で始まりました。年末年始の大晦日・元旦の休日のほとんどは工房に籠っていました。そうしてできあがったのがグランボアのTypeIの一号車です。
グランボアTypeIの一号車
この時点ですでにコンクールのためのコンセプトはできていました。日本のツーリング文化のひとつの特徴である「輪行」を自転車のテーマとし、その輪行を簡易にする目的で開発したTypeERを基本形としました。この一号車ではカイセイ019のパイプでラグレス仕様、エンドやクラウンはこれまでTypeERのために用意したものを使い、ジオメトリーもTypeERの通りです。あとはコンクールのテーマに沿っていかに軽量化を図るかです。
最大の軽量化はフレームの素材をひたすら薄く軽いものにすることです。ただそれは当然強度の低下をもたらし、剛性不足のフレームになってしまいます。サンジェのコンクールマシンは0.3mmの極薄チューブで作られています。私はこれを受け取ったときに乗ってはならないとエルネストにきつく言い渡されました。当然またがったことは一度もありませんがフレームが損傷することは容易に想像できます。まだフレームづくりでは初心者のわたしがいきなり極薄パイプでフレーム作ることは無謀です。まずは定番的なパイプからです。6月開催のコンクールから逆算して、通常業務の間に製作できるのは月に1本程度で本番までに5本のフレームが製作可能とみて、冶具の調整を行いながら一本ずつ製作していったのです。今回使用したフレームは4本目で本来は予備用、使用パイプはカイセイ4130Rです。これは特段軽量はありませんでしたが以前よりイリベ製グランボアでは標準パイプとして使用していて、十分な剛性があり乗り味が素晴らしいと評価を得ていたパイプです。クラウンは新たに3mm厚で製作したグランボアの二枚肩クラウンです。それが出来上がったのが5月の中旬でした。そして本番用と製作した5本目のフレームではクラウンの他、前後のフレームエンドも特別に4mm厚の物を用意し、さらにはヘッドチューブとBBの内部を0.5mm程削り込んで軽量化を図ったのです。でも出来上がったフレームを比較してみると4本目と5本目の重量の差は15g程しかなくフレームとしての出来を比較するとすっきり作れた4本目を本番フレームとすることにしたのです。そして5本目は予備車として現地で私自身が乗る自転車としました。グランボアの新たなフレームは今回のコンクールのハードなコースで充分な耐久テストがなされたと思います。そして何よりもその乗り味について試乗いただいた方からは好評価をいただいています。

個別パーツの軽量化については6月の半ばよりのコンクール参加の予告ブログで紹介させていただいておりますので割愛させていただきまますが、通常では為しえないハンドルやステム、キャリアの軽量化では(株)日東様の協力を得ることができました。また今回本番用に採用には至りませんでしたがパナレーサー(株)様に超軽量の36Bタイヤも試作で用意していただいておりました。これを採用していれば自転車本体重量は8kg台に乗せることもできたのです。ただブラックサイドのモデルしか用意できなかったこと、ダート走行には全く不向きであることを考え30周年記念モデルで作った赤の36Bエキストラレジェを使用することにしました。結果としては今回のハードなコースでは試作の超軽量タイヤを使っていたら早々にリタイアすることになったと思われます。この超軽量タイヤは現在テスト中です。また次回のエキストラレジェの生産時には新しいグランボアのタイヤとしてデビューの予定です。
超軽量36Bタイヤを装着したコンクールマシン。8.98kg

1946年のコンクールマシンの変速機の軽量化
今回のコンクールマシンで最も注目を浴びていたのは何といってもリアディレイラーの極限まで突き詰めた肉抜き加工でした。結果としてはそれがDNFの原因になってしまいましたが、コンクールはトライする行為にこそ値打ちがあると思います。メカの軽量化は私からの指示ではなくそれを担当した店長の自発的な行為でした。毎日70年前のコンクール優勝車を眺めて仕事をしているグランボアではそれは自然なことです。可能な限りの軽量化の努力をせずしてはるばるフランスまででかける価値があるでしょうか。結果にかかわらず、そこで得られたことは今後のグランボアの自転車づくりに大いに貢献してくれるでしょう。

破損対策でCNC加工プーリーに変更しました
グランボアのスタッフは日々お客様の注文からの課題に取り組み、その答えを求めて努力し、解決策を得ています。それが今回のコンクールマシンには充分に発揮されているものと思います。来年もまたコンクールが開催されるのであれば状況が許す限り再び参加したいと思います。それは一つの定められた状況の中でなしうることを各自の中で伸ばすことのできる大きなチャンスであると考えるからです。しかしそれ以上に私が思うのはこんなイベントをこの日本でも開催したいということなのです。日本にも多くの自転車ビルダーがいます。そしてメカニズムとしての自転車を愛好する人たちがたくさんいます。私はビルダーによるワークスチームに限らず、プライベートチームを含めて開催すれば、自転車づくりというハードを楽しむ人が参加できる新しいイベントになりうると思います。今回のコンクールへの参加により、こうしたイベントでの運営面での難しさを知ることができました。できればこの経験を生かして日本で自転車ツーリングを楽しむ新たなステージを用意できれば、もっと自転車の楽しみが広がるのではないかと夢想しています。
おかげさまで私がアイズバイシクルを開店してから30年の月日が経ちました。これも多くのお客様に支えられてのことと深く感謝しております。そのめでたい記念としてグランボアの650Bの超軽量モデル、エキストラレジェを全種類とも赤くして出すことにしました。

この独特な赤色は2007年にグランボアの42Bタイヤ、エートルを発売したときにその標準色として作ったものです。かつてのウォルバーやユッチンソンの42Bタイヤには黒アメの標準的な色のタイヤの他に真っ白とレンガ色に近いオール赤の3種のカラーが存在していました。独特の渋みのあるカラータイヤと地味目に塗られたツーリングのためのランドナーの色はマッチしていて、当時のサイクリストの感性にあっていたのです。
グランボアのタイヤを生産いただいているパナレーサーさんにはすでにカラータイヤで赤色はありましたが、それは私のイメージよりも赤味が強く、ちょっとランドナーのタイヤとしてそぐわない色と感じていました。タイヤの色はタイヤのトレッドのコンパウンドの製作をするときに顔料を混ぜて変えることができます。そこで私はオリジナルの赤色を作ってもらうことにしたのです。ところが試作されたいくつかのタイヤはどれも少し明るく華やかな印象のものばかりでなかなか思う色にたどり着きません。粘り強く生産ラインに入る前での調色を繰り返していただき、やっと納得できる独特の渋みのある今の赤色を再現できたのです。
その後もパナレーサーさんの生産体制の変更等でこの赤の生産ができなくなるかもしれないという危機がおとずれたこともありましたが、社内のツーリング愛好家の社員の方の助言もあり今日までグランボアの定番色として作っていただいております。

今回はそうした皆様のご協力とともにあるグランボアの製品のこだわりの部分の表現としてエキストラレジェの650Bタイヤをグランボアの赤で作らさせていただきました。これからも皆様のサイクリングライフを豊かにする一助となれば幸いです。
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【専務より追記】
エートル製作当時、650B規格のタイヤはもとより、42mm幅の高性能タイヤなんて、聞いたことありませんでした。そのうえ、親方がデフォルトで選んだ色は見るからにパッとしない色。
「こんなくすんだ色で良いの?」
パナの担当者さんと一緒に「もう少し明るい赤のほうが良いんじゃない?」と本気で進言したのを覚えています。オリジナルの色の場合、生産最小ロットは通常の倍の数量です。しかも、当時、シプレを喜んで使ってくれていた海外の友人たちも42Bというサイズ、しかも赤タイヤという事でほとんど無関心だったからです。売れないと大変です。
ですが、「やっぱりこの色が良かったんだ。」と実感し、各方面から評価をいただくようになったのは実際に完成車に組み付けるようになってからでした。また、太目の高性能タイヤがもたらす乗り心地の良さも革新的だったのです。私を含めて、多くの方がこのタイヤの良さを評価したのはその「結果」を見てからでした。そして、それは最初にアンチパンク材を抜いた時も、後に軽量モデルの実現にチューブラー用のケージングを採用した時も同じなのです。
エートル(Hetre)とはフランス語でブナ。グランボア最初のオリジナルタイヤ、シプレ(Cypres)に続いて製作されたモデルです。赤を標準色に決めたので日本を代表する落葉樹の名前を付けました。親方のぶれない信念で実現できた奇跡のモデル。こちらも発売から10年目を迎える事となりました。
小さな店の夢の実現に長年にわたりご協力下さっているパナレーサー様、そしてグランボアのタイヤをご愛用いただいてます皆様、ありがとうございます。これからもブレずに貫いてまいります。どうぞよろしくお願いします。
今回の赤タイヤ、実際に完成車に組み込まれるのがとても楽しみです。
MARASTONI(マラストーニ)というブランドのイタリアンレーサーをご存じでしょうか。
70年代当時のイタリアで新進気鋭のロッシンの上を行くといわれた工房で、日本には好事家の手によつて10数台が持ち込まれたに過ぎなかった幻の名車です。今回出品車のなかで一番手間がかかり、また最新のレストア用ニューアイテムを組み込んだ一台となりました。
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【MARASTONI RoadRacer /Creative Restoration】
今から14、5年ほど前、イタリアでマラストーニの自転車を捜す旅をしたことがありました。
ミラノでレンタカーを借りてベルガモ・パドヴァ・ボローニャといった街を巡って旧い自転車を捜しながらの旅でした。そしてようやく探し当てたマラストーニはレッジオ・エミーリアという町にあったものの、すでに店は閉店していて、そのブランドを引き継いだ人物が郊外の工場で自転車づくりを続けていました。話を聞くと、まだマラストーニの自転車は製作することが可能だとのこと、ただラグ類は残っているものの、もはやイタリアでは材料となるチューブが手に入らないとのことでした。私は新しいフレームのオーダーのために日本からチューブを持ち込むことを約束しつつ、とりあえずその場で旧いマラストーニのフレームが残っていないかを訊ました。そして彼が持ち出してきたのが1本の旧いマラストーニのフレームだったのです。

残念なことにフレームは事故で曲がっていましたが、まだ修理すれば使えそうな程度でした。早速その場で修理の上、再塗装して日本に送って欲しいと依頼し、帰国しました。半年ほどして送られてきたそのフレームは真新しいデカールとバッヂで飾られたものの、新しい青い塗装は厚ぼったく塗られ、イメージの中のイタリア車独特のシャープさが無くなってしまっていたのです。またフレームの修理も充分とは云いがたく、再度国内のビルダーさんに依頼して修理を行いました。そうしてボチボチパーツを集めてそのうちに組み上げようとして10年以上の年月が経ってしまいました。
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チネリスーパーコルサと同形のシートラグはこのフレームの最大の特徴で、この形を活かしたレストアを施すことを考えていました。そこでスーパーコルサ同様のメッキ出しに変更することをまず考えたのです。
問題は塗色でした。如何にこのフレームに似合う色を選ぶかはずっと考え続けたことでした。ある日イタリアのオークションサイトを見ていて一台のマラストーニのフレームが売りに出ているのを見かけたのです。

それが今回の塗色の白に赤の胴抜きという、まるで日本のために作られたかのようなフレームカラーだったのです。(画像/イタリアオークションサイトより)
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レストア後。

デカールについても今はあちこちで入手できるようになり、アメリカやイタリアでもリクエストに応えて製作してくれるところがあります。日本でも細かな注文にこたえて製作していただくことができ、今回はそうしたあちこちのデカールを組み合わせて活用しています。

そうして塗り上がったのが今回のマラストーニ・ジャポネーゼです。1964年の東京オリンピックように作られたというチネリのイメージをそのまま写し取ったような姿になりました。
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そこにタイミングよく出来上がってきたのが、当店が5年越しで取り組んできたチネリのマッドガードの復刻版です。
60年代以前はイタリアのロードにも練習時のために泥除けを取り付けるのは普通の事でした。東京オリンピック当時輸入されたチネリにはマッドガードがついていたそうです。それを復刻するべく粘りづよくホンジョさんにお願いしてきたのでした。それがこの夏ようやく形になったのです。急遽チネリの泥除けステーを模したステーを用意して組み付けたのでした。



おそらく今年一番の出来栄えとなったこのマラストーニは、是非ご来場していただいてその目で確認していただければと思います。

当店の最も得意、かつお奨めできるブランドがフランスの「ルネ・エルス」です。すべてのランドナーのお手本といってよい名車中の名車。
【Rene HERSE Mixte CAMPING 1950’】
1950年代製造の婦人用キャンピング車をご用意しました。

当店にやってきたときはかなり錆が出ている状態でしたが、塗装状態は良かったのでリペイントではなくタッチアップで補修することとしました。可能な限り当時の雰囲気をそのままに、貴重なオリジナルの手書きロゴや線引きを生かすレストアとしています。

変速機は1950年代にツーリング用に最も多く使用されたヘリコイド式ディレイラー「シクロランドナー」です。単純な構造ですが、実はセッティングはとても大変です。日本では重厚感のある650×42B仕様のランドナーの変速機というイメージですが、こうして700Cで使ってもスッキリします。

オリジナルのチェーンホィールの仕様はフロントシングルでしたが、本格的ご婦人用キャンピング車ということで当店にてフロントダブルに変更いたしました。そしてこの自転車に合うよう選んだ変速機はこれまた希少なシクロのリジド(ロッド式)です。

ブレーキはエルスのオリジナルカンチ。リア用カンチアーチは出っ張りの少ないミキスト用のスモールタイプが使われています。

リムは50年代のマビック・クリテリウムが使われておりましたが、再生不可能なほど変形しており交換しています。グランボアのビンテージ特別仕様リム「パピヨンビンテージ」で本格的ツーリングにもお使いいただけます。
出来あがりの詳細はサイクルモードの会場でお確かめください。

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本日キムラのバッテリーライト再入荷いたしました。それと、IRIBEさんのボトルゲージも今なら両方ともありますよ。お待たせいたしました!(専務より)





