アイズの独り言>

こんにちは、スタッフの前野です。8月18〜22日にフランスで開催されたパリブレストパリ1200km(以下PBP)に参加してきました。
PBPと言えば、ブルべをやっていれば一度は耳にしたことがある言葉でしょう。PBPとはParis-Brest-Parisの略語で、パリと大西洋沿いの港町ブレストを往復する1200㎞ブルべです。その歴史はツールドフランスより古く、現在は4年に1度開催の世界中からランドヌールが集うブルべの祭典です。
今回、自分はビルダーの競技会CONCOURS DE MACHINES 2019(以下CDM)にエントリーしたグランボアのライダーとしてPBPを走りました。PBP出場の経緯に関しては少し特殊ですが、普段は普通に働きながら休日を使ってブルべやサイクリングを楽しむ一般的なランドヌールです。そんな自分が見たPBPを紹介します。

 

【コース】
現代のPBPのスタートはパリではなく、パリから少し西に位置するランブイエです。ランブイエと大西洋に面する港町ブレストを往復する1219kmです。(下のマップは実際に走ったGPSのログです。)

【出走時間について】
普通のブルベは制限時間が一律に決められていますがPBPの場合は80、84、90時間から参加者が選択します。制限時間が短い80時間は18日午後16時から順番にスタートし、その後に90時間組がスタート、84時間組は翌朝のスタートとなります。

今回、自分もこの写真の特別車両枠(CDM参加車両、タンデム、リカンベント、ベロモービル等)90時間F組で17時15分にスタートするはずでした。しかし、事前に日本で本登録する際にCDM主催者側からCDM参加チーム出走時刻変更がこちらに伝わっておらず、80時間E組17:00スタートになりました。1200㎞の制限時間が80時間と90時間では時間の使い方が大きく変わってきますが、CDMで得点を稼ごうと思うと80時間以内のフィニッシュは必須だったので走行計画に影響はありません。(CDMは80時間を境に15分刻みで速い場合は加点、遅い場合は減点)

 

 

【現地での試走 8月15、16日】
フランスにはスタートの4日前に到着。15,16日は時差ボケ解消と身体を慣らすために計200kmほどランブイエ近郊を走りました。
ランブイエに到着した15日は18~20時過ぎまで70㎞程走行。写真のように見通しの良い道路が続き、往路は西からの向かい風であまり速く走れませんでしたが、復路は追い風となり、ものすごい速さで帰ってくることが出来ました。実際にPBPのコースを走ってみると風向きは大きな要素であることを実感した次第です。試走以降、18日からの風向き予報から目が離せなくなりました。


16日は前回2105年までのスタート地点サンカンタンのナショナルヴェロドロームへ。今回のスタート地点は牧歌的な雰囲気のランブイエですが、パリに近いサンカンタンは高規格道路が通り、ショッピングモールがあったりして街の雰囲気が異なります。実はヴェルサイユ宮殿もこの近くにあるので行きたかったのですが時間の都合で諦めました。

【PBPの路面状況】
路面の状態は比較的良好ですが街中には石畳や舗装の割れが散見され、細いタイヤで走るには少しリスキーな場所もあります。CDM号も予備車もエアボリュームに富んだ650×38Bタイヤを履いているので試走もPBP1200㎞もパンクとは無縁でした。

実はタイヤの選択は直前まで親方と悩んだ部分で、今年完走したブルべのほとんどをチューブレスで走った自分は試作品の650×38or42BチューブレスレディタイヤでPBPを走ることを希望していました。しかし、飛行機でチューブレスレディタイヤを空輸することで生じるリスク(空気を抜くことでビードが落ちる可能性、ビードが落ちなくてもシーラントの気密保持層が壊れることで空気圧が安定しなくなる可能性がある、チューブレス空輪の経験が無いのでトラブルの予測がつかない)とCDMの得点で重要な重量面で試作チューブレスレディタイヤ+シーラントの組み合わせと超軽量タイヤ650×38Bグランボアエキュルイユ、SOYO製試作650B用ラテックスチューブ、パンク対策シーラント少量の組み合わせに重量面で大きな差がなかったことから信頼性を重視して試作チューブレスレディタイヤ+シーラントではなく、超軽量650×38Bタイヤ+シーラント入りラテックスチューブの組み合わせに決まりました。
同時にリムも他社製品のチューブレスレディ対応のものからグランボアパピヨンWアイレット28Hに組み替えています。ホイール単体での重量はパピヨンWアイレット28Hに組み替えたことで増加しましたが剛性感に優れ、荒れた路面でも安心して突き進める信頼性の高いパピヨンリムに、前述の超軽量タイヤシステムを組み合わせたことで信頼性と乗り心地、軽やかさを併せ持った足回りが出来上がりました。特に乗り心地と転がり抵抗はチューブレスレディタイヤと同等かそれ以上に好感触で、パンクに対してはラテックスチューブ内に注入したシーラントが対応してくれるのでパンクに対する不安も少ないです。万が一シーラントで防ぎきれないパンクが発生した場合は普通のチューブと同様にパッチで修理するかチューブの交換で済むのでチューブレスのトラブルに比べたら煩わしさも少ないです。

 

 

【PBP走行計画】

8月18日17時ランブイエをスタート、翌朝到着するPC2まではサポート無しで走行。ブレスト手前のタンティアックからサポートを受けつつ走り、21日午前5時までにゴールする計画でした。尚、睡眠に関してはどこで取るかは決めておらず、眠くなったら1~2時間程度寝ることにしました。
トータルの目標は60時間。60時間に目標タイムを設定した理由はGWに走ったBRM502京都1000kmのタイムが59時間台でこれは補給や休憩に多めに時間を割いた上でのタイムでした。高い峠が無く、参加者が多いPBPでは他者と協力し合うことで巡航速度が上がり、PCではサポートを受けられることが決まっていたので自分にとって無謀でない目標時間だと考え60時間としました。

【17日】
前日はPBPの車検と事前受付、CDMの車検と展示。
車検と事前受付は混雑が予想されたので早目に受けられるように午前8時過ぎに会場に到着。この時はまだ列も短く、殆ど待つことなく車検とフレームバッジ等の受け取りを済ませることができました。30分も経つと列は3倍近くに伸びていました。
詳細はこちらの記事で。

 

【18日】1200㎞ブルべが始まる

午前中は宿でリラックスして過ごす。昼頃まで眠りたかったがベッドで横になっても興奮からか深い眠りにつくことは出来なかった。昼食は稲荷寿司とちらし寿司。やっぱりお米を食べるとホッとするし元気が出る。

こちらはスタート時に携行する補給食。計画では400㎞弱約18時間をサポート無しで走るため、そこまでの食事は日本から持ってきた補給食で補う予定だった。そのため1本200kcal前後のバーを多めに携帯した。今回使用するフロントバッグは6月のJBTで使用した試作モデルの進化版。BRM622紋別600㎞での雨中走行などを経てバッグの生地は防水仕様に変更されている。そしてJBT版で既に使いやすかった上蓋の補給食ポケットは、ジッパーの開け閉めがより簡単なものに改良されており今回も補給食の管理に役立った。メインの荷室にウェアや手袋と一緒に補給食を入れると走行時の振動や衝撃で小さい補給食が底の方へ移動してほしい時に見つからなくなることが多々ある。このバッグの補給食ポケットはそういったストレスから解放してくれる。

昼食後15時過ぎに車で会場入りし自転車を組み立てて最終チェック。何せこれから1200㎞を共に走る相棒だ。スタート前から不安要素があっては困るので念入りにチェックした。前日のCDM展示の際にチェーンオイルをふき取っていたので念入りに塗布する。今回も使用するチェーンオイルはフィニッシュラインセラミックウェットルーブ。今年に入ってからすべてのブルべで使用していて滑らかにチェーンが回り、雨に当たらなければ600㎞差し直す必要がないところが気に入っている。

スタート待機場所に到着。たくさんのランドヌールと自転車で埋め尽くされている。そこで2月のBRM216小倉300㎞でお世話になったAJ福岡のBさん(いちごオレの方)と会うことが出来た。お話を聞けばなんとモンサンミッシェルに寄り道するそうだ。コースを外れてモンサンミッシェルまで往復80㎞の追加!やっぱりこの会場に来てる人たちは普通じゃない。スタート時刻が近づくとE組の待機列に並び、出発を待った。

最初のテントでブルべカードにランブイエのスタンプを貰う。

スタートゲートの前で17時にを待つ。

17時、E組のスタート時刻だ。1200㎞の旅が始まる。

スタートすると大集団が形成され周囲の流れに乗って進んでいく。1車線をフルに使って走る集団でブルベを進めるというのは国内ではあり得ない状況だ。まるでTVのツール・ド・フランスで見るプロトン。参加者間の間隔がかなり近いので周囲の動きに同調して走り続ける。今ここで変な動きをして前輪をハスったり追突されれば自分だけでなく後ろを走っている大勢の参加者を落車に巻き込みかねない。

スタート直後は緊張してかなりナーバスになっていたが、徐々にリラックスして走れるようになり集団での走行を楽しむ余裕が出てきた。ただ、集団のペースは速く、とても1200km保つとは思えないスピードだ。流れに乗っていれば付いていけるスピードなのと集団から離れて一人になった場合、この日は西風が強く吹いていたのでスピードがかなり落ちることは確実だった。なのでこの時は多少速くても集団の中で過ごすことを選んだ。

118km地点のMORTAGNE-au-PERCHEに到着。グロスアベレージは29kmhを超えていた。

ここはスタンプを貰う必要があるPCではなく、補給食や水などが調達できるサービスポイントだ。ここまでオーバーペース気味の集団についてきたので自転車を降りると体が悲鳴を上げた。乗車中は気が付かなかったが無理をしていたようで屈むことすらままならない。ここで必要な動きは水の補給だけだったが強い疲労感から10分以上動けなかった。15分後にスタートしたF組のタンデムや弾丸のようなベロモービル、そしてコンクールマシンに参加しているRossmanCyclesのハーンさんが早くも追いついてきた。自分も水を汲んでようやく再スタート。こんな所でのんきに休憩していられない。まだ100㎞しか走っていないのだ。

118㎞地点MORTAGNE-au-PERCHEから217㎞地点VILLAINES-la-JUHELまでの約100kmもノンストップで走行するつもりだったが、眠気覚ましのためバーでコーヒーを飲んだ。まだ一晩目だが前走者のテールライトを見ていると吸い込まれるように眠くなる。自分は完走することが最優先事項なので多少のタイムロスはあってもリスクは消していかなければならない。そんな訳でバーの灯りに寄せられたのだ。
結局ここではコーヒーのオーダーや地元の人と話したりして10分ほど使ったが価値のある時間だった。

【19日】

約8時間で217㎞地点のPC1VILLAINES-la-JUHELに到着。時刻は深夜1時過ぎといったところだ。ハイペースで走り続けてきたのと眠気で既に疲労感がにじみ始めている。夜は本当に辛い。

まだ残り1000㎞。とんでもないブルべに参加してしまったと思いながら椅子に座って缶ジュースを飲んだ。
②に続く…

まえの

【コンクール走行会=パリブレストパリ】

7月18日(日)

7000人近い人数のライダーたちをスムーズにスタートさせるのはなかなか大変です。どのようにしているかというと実績と完走目標タイムと申し込み順で細かくグループに分けられて時間差でスタートしていくのです。ですが、7,000人ともなると200-300人づつに分けたとしても20-30以上のグループになります。実績のあるライダーたちが集まるAチームが最初で午後4時スタート。それから15分おきにアルファベット順のグループに分けられて流れるようにスタートして行きます。夜間は無いとしてもそのスタートは翌日まで続きます。

グランボアのスタート時間はEグループで午後5時。これは事前に打合せがあって「コンクール参加チームは5時スタートで一緒にしましょう」と聞いていたのですが、実際は5時15分スタートに変更になっていました。私たちは既に5時で登録を済ませていたのでそのまま一足早くスタートすることとしました。

Eチームの集合場所。

 

そこにはすでにGPSをスタートさせるためにコンクールのスタッフが待機していました。

JBTで使ったものに比べると少し大きいですが、フレームに固定してしまえば邪魔にはなりません。これがあったおかげでサポートもライダーの位置を常に把握できるので大変助かりました。JBTの時は回線が早々にパンクしてしまいましたが、今回のコンクールではそういったことはありませんでした。ただ、やはりそれぞれの更新時期がまちまちで順位を正確に把握するのは難しかったです。グランボアではこのGPSとグーグルの位置情報サービスをライダーと共有して2重で位置確認をしながらサポートしていました。

 

スタート

いってらっしゃーい!

 

 

【サポート】

事前に打ち合わせた予定では前野の目標タイムは60時間。だとすると18日午後5時にスタートすると予想ゴール時間は21日の未明ということになる。これは大変!それにペッタリくっついてサポートしていたのではこちらが参ってしまう。ライダーが疲れる後半のサポートに重点を置くためにも、私たちは午後5時のスタートを見送ってからいったん宿泊地に戻って仮眠をとってから約360キロ地点にあるコントロールポイント(Tinteniac)で最初のサポートをすることとしました。その次はドライバーをもう一人確保するべくルートをそれてサポートに合流してくれるJPを迎えになんと160キロ先のAnjouへ南下。それから300キロ先の次のサポート予定地(CARHAIX-PLOUGUER)へ向かったのでした。今回のサポートで車は恐らくトータルで2000キロ近く走りましたよ。。。

 

 

-360km TINTENIAC- 19日の未明から朝にかけて待機したタンテニアックコントロール。

 

日本ではほとんど見かけることのないベロモービルが結構PBPを走っていました。しかも速いんですよ。ビックリしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-521km CARHAIX-PLOUGUER- 19日の夕方、カレ・プルージェコントロール。

車を飛ばして何とか一足先にコントロールに到着していた前野に会うことができました。

 

 

 

 

 

そて、次はいよいよ折り返し地点のブレストですが、町が大きく複雑なこともあり、フランス人の友人のアドバイスからブレストでのサポートはせず、次のサポートは再びこのカレ・プルージェですることとしていました。ですが、一応念のためブレストでもホテルを確保していたのでサポートもブレストに向かい、夕食と3時間ほどの仮眠をとることとしました。

車でもこの海が見えたときは感動です。自転車ならなおさらでしょうね。

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-693.5km CARHAIX-PLOUGUER- 復路のカレ・プルージェコントロール。

夜明け前の4時前から前野の到着を待っていましたが、予定より少し遅れ始めていました。ブレストへ向かう人、パリへ戻る人、いろんな自転車、様々な国籍の方、老若男女、絶え間なく行きかう交差点に立っているとちょっと不思議な感覚。あれ?ここってどこだっけ。。

 

 

-783km LOUDEAC- ルディアック、町が動き出す前。

 

カレ・プルージェからルディアックまで90キロほど。自転車だと4-5時間ほどかかりますが、車だと1時間で移動できます。ですのでルディアックには早めに入って車で仮眠をとりながら前野を待っていました。ブレストへ向かう人、パリへ戻る人、ここでリタイアしてしまう人。ずっと、夜明け前の街を眺めていると自転車だけでなくこのような2台ペアのバイクを時々見かけるのに気が付きました。自転車の小さなグループを見つけてはそれらを守るように追走するそうです。他にも間違いやすい交差点などにも始終ボランティアが立って道案内しています。参加人数も桁外れですが、このボランティアの数もすごい数なんでしょうね。

 

 

 

 

-869.5km TINTENIAC- ライダーと会えなかった復路のタンテニアック。

明るくなって調子が上がった前野はサポートが昼食をとっている間に先に行ってしまいました。

 

 

 

-923.5km FOUGERES- 美しい古都、フージェール。

ALOUETA(FR)

 

 

ROSSEMAN CYCLES(USA)

 

 

 

 

 

CYCLES GRANDBOIS(JP)

昼間は前野の走りはとても良い。夜間に先んじていた他チームに追い付く勢いです。食欲もあり、トラブルもなく順調に距離を伸ばしていました。

 

 

 

-1012km- VILLAINES-LA-JUHEL ここから先は未知の領域。ヴィラネラジュエル。

 

 

ROSSEMAN CYCLES(USA)とCYCLES GRANDBOIS(JP)一緒にコントロールにやってきました。

18日にランブイエを発ち、1000キロを51時間ほどで走ってきました。ここから先は前野にとっても初めての距離になります。しかも3回目の夜が迫っていました。あと200キロ。これまでのペースだとほぼ目標通りの61時間でゴールできるはず!一緒にコントロールにやって来たロッスマンサイクルのハーンが早々にこのコントロールをスタートするのを見送りながら、夜に向けて少し長めの休憩(1時間ほど)を取り、日が沈んだころ次のコントロールに向けてスタートして行きました。ただ、スタートする前にトイレに行った前野が30分経っても戻ってこない、アタフタと戻ってきた彼に聞くとトイレで寝てしまったとの事。後から思えばここでもう少し、数時間でも仮眠をとるべきでした。目標タイムに届く走りができていただけにライダーもサポートも無理を選んでしまいました。よーく考えれば3日間も寝ずに走りとおせるわけが無いのですから。

 

***

このコントロールではAグループでスタートしたCYCLES VICTORにも会うことができました。今回はそれほど飛ばしてはいないようでしたが、2015年のPBPでは1200キロを50時間以内で走り切った実績を持っています。今回、彼からサポートのコツなどをイロイロ教えてもらいました。彼らはまだまだ元気でまだ明るいうちに次のコントロールに向けてスタートして行きました。

目を引く華やかなウェアと自転車のコーディネイトがとても素敵でした。

 

ウェアといえば。。。

Rossman Cycles のハーンが着ているこのウェアのモチーフは自国のアメリカの国旗とパリブレストパリが開かれるブルターニュ地方の紋章のミックスになっているパリブレストパリの特別デザインです。そして、その一部に来日した時の日本の思い出が盛り込まれているというとても複雑で面白いデザインになってるんですよ。写真?その部分撮れてないんだよね。。。答えは熊。ブルターニュの紋章とアメリカ国旗、そして熊。あー、、ますます見たいよね。スミマセン。

***

 

 

 

 

-1097km- MORTAGNE-AU-PERCHE 待ち続けた10時間。モンタンオーペシェ。

ヴィラネラジュエルからモンタンオーペシェまで85キロ。普通だったら5時間もかからないはずなのですが、サポートにとってもライダーにとってもこの区間が最も辛い区間となりました。車での移動は1時間ほどですのでずっと車内やコントロールの中の休憩所で待っていたのですが、GPSを見ていると40-50キロほど進んだところでパッタリと動かなくなってしまったのです。夜中の気温は数字は確認していませんが、持っていたダウンのジャケットを着ていてもまだ寒いくらい。「まずいなぁ。」と親方と話してリタイア覚悟で迎えに行ってみるか、と思った矢先にGPSが動き出す。そして、また止まる。そうかと思えば、「あ、道が違う。間違ってる。」と親方。なかなか近づいてこないその点をただただ祈るような気持ちで夜通し見つめていました。先にも少し書きましたが、サポートカーとして登録した車はコントロールポイント周囲5キロまでしかコース上に入ることはできません。やっとその点がコントロールまで2.4キロとなった時、また動きを止めたので車で見に行きました。ですが、草むらや人家の庭先などをのぞいてみましたが姿はなく、そうこうしている内に夜明けを迎え、前野は私たちが探しに出ている間にコントロールにたどり着いていました。ホッとしました。やっと会えた時、ちょっとボーとした様子でしたが、怪我も無く、しっかり食事もとれました。ですが、この区間のことはほとんど覚えていない、断片的なシーンしか覚えていないと彼は言いました。

 

 

 

 

-1174.5km- DREUX ここを過ぎればゴールまで45キロ!

前の区間で意図せず眠ることができたおかげですっかり調子を取り戻しました。それ以上にこれまでで一番足が回ったとのこと。驚きます。26歳の回復力はすごいですよね。。あとはゴールのランブイエ迄45キロ。油断せずに走るだけです。

 

 

 

-1219km- Rambouillet ゴール 69時間16分

やったー。

 

 

 

 

 

【走行後車検】

ゴールして間髪いれずにコンクールの最後の課題です。1200キロ走り終えて、手がしびれたりしていないかをチェックするために新品のピクルスの蓋を開けるよう指示されます。

問題なし。

 

さらに硬いサラミを薄ーく切るよう命じられます。

もちろん問題なし。しかも、前野は手がしびれないことをアピールするためにゴール100キロ手前から手袋を外していたそうです。グランボアに乗っていて「手なんかしびれた事は無い」ですって。フランスならではのチェックで楽しかったです。

 

 

 

そして、車検。

まずは、GPSをはずして。。。

 

 

 

ちゃんと変速するか、ライトはつくか、ブレーキは利くか、各所にガタはないか、タイヤに問題は無いか、ひやひやするほど念入りにチェックしていただきました。

結果はペダルに少しガタがある程度との事で問題無しでした。すごいですよね。走行中も自転車はパンクも無ければトラブル無し。全くノーメンテナンスで走りきったのですから。

ところで、この車検係の方たちも各チームが走っている間は同じようにコースに出て、撮影したりして、同じように大変だったはず。お疲れさま!

 

 

さて、翌日に発表されたそのコンクール結果は。。。

 

1位 VICTOIRE CYCLES(FR)

2位 PECHTRAGON(FR)

3位 ROSSEMAN CYCLES(USA)/CYCLES GRANDBOIS(JP)

 

めでたくロッスマンサイクルとシェアする形で総合3位を頂きました。ただ、得点などは公表されませんので詳細は不明です。親方が後ほど解説してくれるはずですのでそちらをお楽しみに!

 

 

 

 

 

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こちらはコンクール終了後に製作されたショートムービーです。残念ながらグランボアは最後の0.1秒くらいのカットに入ってるか入ってないかというくらいしか登場していませんが、6分ほどでとても良くできていますのでぜひご覧下さい。

 

 

 

 

つちやはるみ

 

長らく留守にしていてすみませんでした。帰国して山積みの仕事を何とかかたずけて少し落ち着きました。

あの台風10号が上陸する前日に渡仏して、「一日ずれてなくて良かった。ラッキー!」なんて思っていたら、フランスに着いてからもPBP出走前日までは雨だったのに、スタート時には雨は上がったりして、今回はお天気が見方をしてくれました。おかげで初参加したPBPも途中DNFが頭をよぎる時間もありましたが無事に完走することができ、そして、グランボア2度目のコンクールマシンではエントリー29チーム中、見事総合3位をいただくことができました!!!

たくさんの応援とご協力に心から感謝申し上げます。日本とフランスとの時差は7時間、ちょうど現地での夜間や明け方のつらい時間帯にSNSを通して応援メッセージが届くのでとても励みになりました。ありがとうございました!

2019年は年明けからこの日を目標にライダーの前野とメカニックの伊藤と共に取り組んでまいりました。特に前野は4年に1度しかないPBPの出場資格を得るために年明けからブルべのスケジュールを組み、気の休まらない日を過ごしてきたことと思います。また、伊藤につきましては昨年の夏に退職した野田店長の代わりを務めるべく製作に携わり、私たちが留守にする間は一人で店を切り盛りしてくれました。この2人がいてくれたおかげで私たちはこんな大きな挑戦を果たすことができましたし、結果も残すことができました。あらためて2人にも心からお礼を伝えたいと思います。ありがとう。また、今は育休中の店長代理のなっちゃんこと、古市も大いに応援し、留守を守る伊藤を助けてくれました。ありがとうね。

今回のコンクールはフランスのスポーツ新聞、そう、あのレキップでも記事になり、グランボアのことも紹介してもらっています。もちろん、フランス語ですが、嬉しいコメントをもらえましたのでぜひご覧下さい。レキップベロマガジン

 

 

 

グランボア OYAKATA 2019CdM/PBPモデル

 

6月のJBTが終わってから約2ヶ月でコンクール用の自転車を仕上げたわけですが、親方はお客様からの仕事もこなしながら時間外でフレームを仕上げ、オールメッキの下処理、キャリアやオリジナルパーツや小物の製作、軽量化、漠然としたそれぞれのアイデアを一つ一つ形にしながら試走ができる段階までに組みあがったのは渡仏一週間前でした。前野がその仮組状態のコンクール車を140kmほど試走して問題がないことを確認してからフレームと泥除けに仕上の線引きを施し、本組をしています。この過密なスケジュールに臨機応変に対応してくれた鍍金屋さんやグランボア専属で塗装を引き受けてくださっているEDO、毎週土曜日におしゃべりがてら来店くださるTさんにも様々な加工でお世話になりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【パリブレストパリ】

フランスのパリからブレストまで往復する1,200キロを決められた時間内で走りきるといもの。1891年に最初に開催され、現在でも継続されている世界最古の自転車イベントで今年は19回目です。計算が合わないのは開催期間が一定ではなかったため。初期のころは10年前後で1度開催される不定期のプロのレースだったようです。7回のプロのレースを経て、1951年から一般のサイクリストが参加できるラリー形式となり、5年に一度の期間もあったりしながら今の4年に一度に定着したようです。スタート地点も昨年まではパリ郊外のサンカンタンイヴリーヌでしたが、今年からパリから西に30キロほど離れたランブイエとなりました。33年前に第1回先進国首脳会議、ランブイエサミットが開かれた場所で、大きすぎない素敵なお城があり、それに付属する牧場があり、森があり、庭があり、池があり、自然豊かなとても美しい所でした。今年の参加者は公式ホームページによると6,673人。スタッフやボランティア、サポートや観戦に来られる方も入れるとすごい数の人が世界中から集まります。それがレースではなく、最長で4泊5日間にも及ぶサイクリングイベントだというところが面白いですね。

 

 

 

ランブイエ城

 

 

ゴールシーン

 

 

 

 

ちょっと、また長くなりそうです。

今日はここまでにしてコンクールの流れについてはまた後日アップいたします。その他、グランボアのコンクールマシンの細かな解説や他のコンクール出走車両については後日親方が、パリブレストパリとコンクールマシンのインプレッションについては前野がこれから記事にしてくれると思いますのでそちらをお待ちください。

 

それでは、続く~。

つちやはるみ

こんにちは、スタッフの前野です。先日開催されたオダックス近畿主催のブルべ、BRM727守山300㎞に参加してきました。PBP前に走るブルべはこれで最後です。

 

 

コースは琵琶湖大橋東側をスタートし、途中越と江文峠を経てて京都市街地へ。市内を抜けて老の坂峠、亀岡、天引峠、丹波篠山、加東を通って姫路へ行き、復路とほぼ同じ道で帰る300㎞です。普段のブルべは早朝スタートのことが多いですが、今回のスタート時刻は18:30。走り始めてすぐにナイトランを迎えることになります。2週間後のパリブレストパリのスタートも17:00でフランスの場合は日の入り時刻が遅いので少し条件は異なりますが夜スタートの練習になるのでは?と思いエントリーしました。コースプロファイルも細かなアップダウンの連続で100㎞あたりの獲得標高約1000mという点も丘陵地帯を走るPBPに近い気がします。
 

 
ちょうどこの日は台風6号が紀伊半島に接近していてスタート時刻に雨が止むかわからないような状況でした。午前中は普段通り過ごして昼食を済ませた後から部屋を暗くして仮眠ができるように整えました……が、結局台風情報が気になりしっかり眠ったのは1時間ほどで、スタート地点の守山へ向けて走り出しました。自宅からスタート地点まで30㎞ほど。これからブルべで走る江文峠と途中越えを通って琵琶湖大橋へ。空は曇っていましたが雨に合うことなくスタート地点のピエリ守山に到着。飲み物と補給食を買い足して、ブリーフィングと車検を受け18:30にスタートしました。

 

 
琵琶湖大橋は行き帰りの自走とブルべでも往復したので4回渡りました。向こうに見える施設がスタート地点です。

 

 
途中越え、江文峠は凄まじい湿度の中通過。京都産業大学近く、原峠の先にあるコンビニが通過チェックなのでゼリー飲料を買って長居はせずに再スタート。京都市内に入って丸太町通りのあたりで強い雨が降り出しました。

 

 
20時ごろで交通量が多く、雨の降る京都市内通過が一番神経を使いました。普段見慣れた景色もブルべ中だとちょっと新鮮?

 

 
雨は老の坂の登りに入るころには止み、モワッとした湿気が残りました。今回、通過時間の制限があるチェックポイント(PC)はなんと2か所だけ。1つ目は154㎞地点の姫路、2か所目は289㎞地点の京都です。普通のブルべだったら50~60㎞に一か所はPCが設定されているものですが、今回は止まる必要があるのはPC2か所と通過チェック1か所(通過時間制限なし)の計3か所のみ。今回はロードバイクで走っているので補給食はともかく、水は2時間に1回は補給する必要がありました。(ボトルケージ2つの内1つはツールボトルに割り当てているためフレームに固定できる水は700mlのボトル1本のみ)コンビニに入って飲み物を買おうとすると余計な時間がかかるので自販機で補給は済ませました。

 

 
0:57姫路のPC1に到着。この先京都のPC2まで100㎞以上停車する予定が無いので補給は多めに!

 

 
亀岡に入るころ夜が明ける。
前日の昼寝のおかげでひどい眠気に悩まされることはありませんでした。しかし、滝のように流れる汗と不快な湿気が一晩中続いたせいでこの頃には早く家へ帰ってシャワーを浴びることが走り続けるモチベーションになっていました。

 

 
しっかりした食事を摂らなかったせいで江文峠でガス欠寸前、途中越えのピークまで残り200mほどでハンガーノックになりましたが、残りは惰性で下って8:08に307㎞地点のゴールに到着。
13時間38分で完走です。

 

 
ゴール後は楽しみにしていたオダックス近畿の300㎞ピンバッジをゲット。今年最初に認定を受けた300㎞はAJ福岡の小倉300だったのでようやくオダ近ピンバッジコレクションが増えました。写真のプリンは主催者の方からのご褒美です。完走後の身体にしみわたりました。ごちそうさまです。
今回、300㎞の認定時間としては自己ベストでしたがハンガーノックの原因になった補給の管理など課題も残りました。PC間の距離が長く停車回数が減り、気温が高いので固形物を食べる頻度が下がって飲料を多めに摂る傾向がありました。PBPでは補給食を口にする頻度を増やす、持参する補給食を今一度精査するなどの対策をして最後まで踏み続けられるようにしたいです。

 

 
今回のブルべは650Bランドナーではなく700Cロードで走りました。
タイヤは乗り心地と走りの軽さを優先してセールヴェルテ700×28Cエキストラレジェを選択しています。

700×28Cのエキストラレジェモデルは28㎜幅でありながら、軽量でしなやかなケーシングのおかげで平均210gという一般的な高性能23Cタイヤ並みの軽さです。エキストラレジェのしなやかなケーシングは振動吸収性と路面追従性が良く、スピードと快適な乗り味を高次元で両立しています。また、細幅のタイヤに比べるとエアボリュームがあるのでリム打ちパンクも発生しずらいです。
ちなみに自分はフロント4.5bar、リア4.8barほどで運用しました。空気圧の決め手は突き上げや振動がきつくない範囲で、ダンシングをしてもタイヤが潰れないくらいを目安にしています。高圧にしすぎると突き上げと振動がきつくなりタイヤの良さがスポイルされてしまうので、少し低めぐらいがいいと思います。

グランボアのエキストラレジェタイヤはダート走行には不向きですがランドナーでの使用に限らず、速さと快適さが求められるブルべやファストランをする方に最適のタイヤです。
クリアランスに余裕のあるディスクブレーキのフレームにはよりエアボリュームがある700×30Cエキストラレジェがいいですよ。こちらも30Cで250gと超軽量です。
リムブレーキロードバイクの場合、28Cタイヤはチェーンステーやブレーキキャリパーとのクリアランスが足りない場合もありますので現状のタイヤ幅とクリアランスを事前にご確認ください。

 

 
 

 
これでPBP前に予定していたブルべは全て終わりました。あとは8月18日17時のスタートまで準備を続けることです。

今年1月から走ったブルべです↓
BRM102神戸600㎞DNF
BRM112淡路200㎞
BRM216小倉300㎞
BRM309近江八幡200㎞
BRM323高松600㎞
BRM420近江八幡400㎞
BRM503京都1000㎞
BRM622紋別600㎞
BRM727守山300㎞(今回)

まえの

こんにちは、スタッフの前野です。ジャパンバイクテクニークの翌週に北海道で開催された600kmブルべに参加してきました。

今回参加したのはオダックスジャパン北海道主催のBRM622紋別600㎞。8月のパリブレストパリ前最後の600㎞ブルべとなります。コースは信号が少なく、PC以外で余計な停車をする必要がないので補給さえ失敗しなければ完走は容易なコースです。そして前回の記事でも書きましたが信号だけでなく獲得標高も少ないので2016年8月の宗谷600㎞で記録した25時間49分の更新を狙って北海道へ向かいました。

コースは札幌市郊外の丘珠空港近くからスタートして富良野、美瑛などを経由してオホーツク海に面する紋別まで行き、名寄、士別、雨竜を経由して帰る607㎞の道のりです。   

 

 

6時過ぎにスタート地点に到着。ブルベカードを受け取りブリーフィング、車検のいつもの流れです。スタート地点では2016年の宗谷600kmでお会いしたAさんと3年ぶりに再会!!3年前はロードレーサーでしたが今回の愛車は旭川の蝦夷サイクルのスポルティーフ。それもオールメッキです。DHバーが着いているのが北海道のランドヌールならではですね。

 

 

7:00にスタートして10㎞程走ったところで本格的な雨に。ここから紋別に到着するまでの大半を雨の中走ることになります。

 

 

単独で千望峠を越えて上富良野町へ。
ウェット路面をグループで走ると先頭以外は前走者の水しぶきを浴び続けます。前走者と走行ラインをずらせばいいのですが、前に2人、3人いるとラインが重なりどうしようもありません。空が晴れていても路面が濡れていたら、雨が降り続けているのと変わらないくらい濡れます。砂利交じりの泥水が口に入ってくることもあるので雨に打たれているよりも不快です。これは前後フルサイズのマッドガードがあっても完全には防げず、リアのマッドガードに路面すれすれの長さがあるマッドフラップを付けて初めて解決されます。今回は600㎞のほとんどを単独で走ったのであまり問題にはなりませんでしたが、仲間と走るときはリアにもマッドフラップが必要だと感じました。

千望峠上富良野側の下りは小雨の中。

 

 

美瑛名物パッチワークの路は大雨。晴れていたら最高の景色をバックに自転車の写真を撮れたことでしょう。

 

 

牛の横断で小休止。本州では遭遇しない光景です。
雨の音しか聞いていなかったのでこちらを見ながらモーモー鳴いている牛さんに和みました。

 

 

紋別手前70㎞地点でスマホが水没。スマホケースとして使っていたジップロックの口を開けたままにしていたのが原因でした。

 

 

紋別に到着。ここまで310㎞を13時間。まあまあのペースで折り返しまで来ましたが雨で消耗して立て直しが必要だったので予定外のホテル泊です。風呂、夕食、衣類の乾燥、睡眠で7時間ほど滞在しました。水没したスマホも乾燥させてどうにか使える状態に。
自分が到着したときはまだ少なかった自転車もチェックアウト時にはこの通り。コースレイアウトとPCの配置的に紋別で宿をとる人が多かったようです。

 

 
 

 
【2日目】
3時半にホテルから再スタート。空が明るくなり始めていました。今回、ライトの明かりを頼りに走ったのは初日の約1時間だけ。いつもなら夜明けの瞬間に感動するものですが、今回は寝ている間に明るくなってしまったので600㎞を走っている感じがしません。オホーツク海の日の出を見ながら海岸線を興部まで進み、そこから内陸の名寄へ向かいます。

 

 

先週ヒグマが出没したようです。川の対岸や遠くから見てみたいと思いますが鉢合わせは勘弁……

 

 

1日目と対照的に快晴。灰色一色に見えていた景色は鮮やかに色付き最高のサイクリング日和になりました。ただ、日影がほとんど無いコースで日焼け止めを塗りなおさなかったので真っ赤に焼けてしまいました。

 

 

二日目は最初から最後まで単独で走り続けて33時間34分でゴール。当初の目標25時間台前半のゴールは出来ませんでした。雨の中24時間ぶっとおしで走り続ける力は今の自分には無く、1日目の状況から判断してホテルに入ったのは適切な選択だったと思います。もし紋別で宿に入らず走り続けていたら、かなり苦しい600㎞になったのは確実です。同じ状況で数年前の自分なら、紋別のホテルに入った時点で心が折れてDNFの電話をかけていたと思うので冷静に立て直せるようになったのは成長したと思います。今回の雨天走行の経験を今後の装備や走り方に活かし、PBP本番で悪天候に見舞われても乗り越えることが出来そうです。

 

 
 

 
京都から北海道に行くにあたり関空から新千歳まで飛行機輪行しました。飛行機輪行用にハードケースやクッション材付の輪行袋を持って京都から関空までを電車で輪行するのは荷物のサイズ的に困難なので、普段と同じ軽量輪行袋で飛行機輪行をすることにしました。
飛行機輪行が普段の輪行と違うのは自分以外の人が自転車を運び、場合によっては横置きになる可能性があることです。以上を踏まえて使用した輪行袋はオーストリッチSL-100 。最近はウルトラSL100ばかり使っているので出番がなかったのですが、より強い生地を使っていて安心感があるので抜擢です。それに加えてフロントフォークには日東の用心棒を装着しています。これも万が一横置きになった場合などにエンドが歪むのを防ぐためです。ペダルとリアメカは外しておきます。フレームとホイールの隙間に衣類の入ったスタッフバッグを詰めて、残りは電車で輪行する時と変わりません。

 

 
空港に到着したら自転車は預け荷物としてカウンターで手続きをします。ちなみに今回利用したのはANA。
重量とサイズがチェックされますが、受付の人も慣れているのか特に煩わしいことはありませんでした。一点注意する必要があるのはスプレータイプのチェーンオイルやバーナーのガス缶などは預けられません。この辺りは細かい規定があるので空港で預ける前に航空会社のホームページなどでチェックしておくとよいでしょう。

 

 
飛行機に輪行袋が積み込まれていきます。このように横倒しになる場合があるので、受付時に横倒しにする場合の向きなども確認されました。新千歳空港到着後、ベルトコンベアではなく係員の方が直接輪行袋を運んできてくれます。ちなみに行きの飛行機では僕以外に2人が普通の輪行袋で自転車を預けていました。
行き帰りとも袋の破れや自転車の損傷はなく、前述のとおり自転車を丁寧に扱ってもらえるので行動範囲を広げてくれる普通の輪行袋を使った国内線の飛行機輪行は今後も積極的に利用したいと思いました。LCCや航空会社によっては対応も変わってくると思いますが、飛行機輪行に対して高いハードルを持つことはないと思いますよ。今度はほとんど走ったことがない東北に飛行機輪行で行きたいです。

 

 
【今後の予定】
8月18日のPBPまであと1か月になりました。PBP前最後のブルべは滋賀県守山市から姫路市を往復する300㎞。スタートが夜というPBPのスタートに似た条件なので本番を想定した時間割を組んで確実に完走したいです。
そして守山300㎞が終われば残るはパリブレストパリ(CONCOURS DE MACHINES 2019)のみ。残りの時間を大切にしてフランスで納得のいく走りが出来るよう頑張ります。

BRM727守山300㎞
8月18日 PBP1200㎞

まえの

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