アイズの独り言>

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①スタート~FOUGERES 306㎞

②FOUGERES 306㎞~Brest 610km

 

【Brest 610km ~CARHAIX-PLOUGUER 693㎞】

Brestのコントロールではレストランで食事を摂り、周りの話し声や雑音が気になったが15分程テーブルに突っ伏して目を閉じた。

仮眠と言えるかは微妙だったが多少は眠気がとれたのでレストランを後にした。扉を開けて外に出ると気温が下がり肌寒い。ここに到着したときにアームウォーマー、レッグウォーマーを付けたので更にネックウォーマーも追加して夜間走行に備えた。そう、夜間走行用に用意した装備がもう一つあって、ベルクロでヘルメットに装着するヘッドライトだ。明るいホワイトLEDと優しい光の暖色系LEDを切り替えられるもので、主に手元やキューシートを照らすために使用する。昼間は重りでしかないので外してフロントバッグにしまい、夜間走行時のみ装着する。PBPのコースにつづら折れの下りはないので無くても走行に支障はないが、無いとちょっとだけ不便。そんな存在の装備だ。

BrestのPCを出発すると市街地を下り基調で一気に走り抜ける。街は寝静まっているが、自分と同じくパリへ向かうランドヌールと今まさにBrestに到着したランドヌールがフリーの音を響かせている。

街の外へ出ると往路より北側の道路を走ってPBP最高地点へ向かう。月が明るく前には前走者のテールライトがぽつぽつとゆらぐのが見える。実を言うとこの時、すでに睡魔に侵され始めており、前にライダーがいると視線はテールライトへ吸い寄せられしばらくすると意識が飛びかけることが度々あった。効率よく進むためにトレインに加わりたかったが意識が無くなりそうだったので途中立ち止まってハンドルに突っ伏したりもした。誰かと先頭交代をしたほうが速く走れるけれど後ろに回ったとたんに眠たくなる。睡魔は一晩目よりも強くなっていて厄介だった。

ブレストに向かう往路の集団とすれ違う。ベルを鳴らしたりしてお互いを励ます。この延々と続くライトの列は過去の参加者のブログなどで言及されていたのでなんとなく想像はできたが実際に目にすると感動した。

 

夜の街は寝静まっている。それでも自転車にちなんだ飾りつけや私設のエイドステーションなどが必ず一か所はある。

 

 

【CARHAIX-PLOUGUER693㎞ 20日5:11】スタートから36時間11分


補給をして出発する。暖かい食べ物が嬉しい。サポートの3人も眠そうだ。

空が青みがかってきた。

ようやく夜明けを迎えた。霧が出ていて走っているとアイウェアやアームウォーマーに水滴がつくほど濃い霧だった。

徐々に霧が晴れて視界が開けてくる。

 


イタリア人のグループとしばらく走った。僕が眠くて集団から千切れかかると、マダムが声をかけてくれた。話を聞くとバイクメーカーをスポンサーにつけてトランスコンチネンタルレースなどを完走、PBP1200㎞はトレーニングのようなものだとか。睡魔で時折ふらつく自分に対して彼女は常に安定したペダリングで余裕を感じられた。この会話のおかげで眠気は飛び、太陽が上がると共に調子が戻ってきた。今回痛感したのだが自分は寝ないと調子よく走れないのだ。

写真右側の彼はポーランドから来ていた。100㎏近くありそうな身体ながら平坦も登りでも一定のケイデンスで(しかもシッティングのまま)イタリアグループと共に走っていた。苦しそうなそぶりも見せず淡々と走り続ける姿はかっこよかった。

 

 

【LOUDEAC783㎞ 20日9:49】

復路のルデアックに到着。PBPという名の1200㎞スタンプラリーも徐々に終わりが見えてきた。

 

 

 

 

【FOUGERES 923.5km 20日16:09】
城塞がきれいなFOUGERESに到着。明るいうちに距離を稼ぎたいのでここでは最低限の停車にとどめてバッグとポケットに補給食を詰め込み出発した。

コンクール参加チームであるVagabondeCyclesのタンデムが後ろからやってきた。大半のコンクールマシン参加チームがF組スタートで、ここまでランデブーすることが無かったので一緒に走れることがうれしかった。


タンデムは平坦がとても速いので少しでも楽をしようとVagabondeCyclesのタンデムを先頭にしたトレインが形成された。40㎞h近いスピードでどんどん前を抜いていく。

【VILLAINES-LA-JUHEL 1012km 20日20:07】スタートから51時間
コントロールの数キロ手前で合流したRossmanCyclesのハーンさんと一緒に到着した。PBPを複数回経験している彼の走りと時間の使い方は学ぶ点が多かった。

コントロールではいつものように補給食を補充し、食事を摂った。出発前にトイレに行ったのだが便座に座ると安心感からか急に眠たくなってそのまま眠ってしまった。思い返せばここで長めの仮眠をとるべきだったのだ。

万全の状態(この時はそう思っていた)で3度目の夜が始まった。次のコントロールまで90㎞弱。普通に走れば4時間少々で到着できるだろう。

 








【MORTAGNE-AU-PERCHE 1097km  21日6:37】スタートから61時間半
「ヴィラネラジュエルからモンタンオーペシェまで85キロ。普通だったら5時間もかからないはずなのですが、サポートにとってもライダーにとってもこの区間が最も辛い区間となりました。車での移動は1時間ほどですのでずっと車内やコントロールの中の休憩所で待っていたのですが、GPSを見ていると40-50キロほど進んだところでパッタリと動かなくなってしまったのです。夜中の気温は数字は確認していませんが、持っていたダウンのジャケットを着ていてもまだ寒いくらい。「まずいなぁ。」と親方と話してリタイア覚悟で迎えに行ってみるか、と思った矢先にGPSが動き出す。そして、また止まる。そうかと思えば、「あ、道が違う。間違ってる。」と親方。なかなか近づいてこないその点をただただ祈るような気持ちで夜通し見つめていました。先にも少し書きましたが、サポートカーとして登録した車はコントロールポイント周囲5キロまでしかコース上に入ることはできません。やっとその点がコントロールまで2.4キロとなった時、また動きを止めたので車で見に行きました。ですが、草むらや人家の庭先などをのぞいてみましたが姿はなく、そうこうしている内に夜明けを迎え、前野は私たちが探しに出ている間にコントロールにたどり着いていました。ホッとしました。やっと会えた時、ちょっとボーとした様子でしたが、怪我も無く、しっかり食事もとれました。ですが、この区間のことはほとんど覚えていない、断片的なシーンしか覚えていないと彼は言いました。」
2019コンクールとパリブレストパリ 3
これはサポート隊から見たMORTAGNE-AU-PERCHEまでの85㎞。実のところ、この区間に関して覚えていることは少ない。写真も殆ど撮っていない。
記憶ではどこかの町で急に行き先が分からなくなり、停車を繰り返したこと。それと自暴自棄になって叫んだ覚えもある。あとは数時間後に草むらから起き上がり、自転車にまたがって電池切れ寸前のスマホのマップを頼りに(ナビゲーションに使っていたGPSは電池が切れていた)最後の10㎞ほどを進んだことである。それとPCが位置する街を勘違いして関係が無い集落をぐるぐる回った記憶もある。
確かに気温は低く寒かったと思うが、それよりも眠気と疲労で気が狂いそうなくらい辛かった。正直、この時知り合いが近くにいなくてよかったと今になって思うくらいである。自転車に損傷はなかったので無意識の状態でも自転車をいたわっていたのはよかった。気が狂って草むらに放り投げたりしていたら大変である。コンクールマシン参加とPCでサポートが待っているという責任がなければ朝まで倒れていたかもしれない。万が一草むらで寝る場合は、親方にショートメールを送る約束をしていたので、連絡を取ることは頭の片隅にあったのだが何も出来ずに寝てしまった。PCに着いたときはまさかサポート隊がこんなに心配していたなんて思わなかったので、後でこれを知って申し訳なく思っている。

食事を摂ってゆっくり休んで再出発。計画どおりであれば今頃ランブイエのゴールに60時間で到着していたはずだが現実を受け入れるしかない。これから気温が上がり、草むらで寝たおかげで頭も冴えているのでペースを上げられるだろう。


MORTAGNE-AU-PERCHE出発後気温がどんどん上がっていったので防寒具を脱ぎ、鬱陶しく感じたのでグローブも外して素手で走った。まだゴールまで100㎞あったので手が痛くなるようならグローブを付け直すつもりでいたのだが、1219㎞のフィニッシュまで素手で問題はなかった。今回、自分が乗ったグランボアのコンクールマシン2019はフレームは乗りなれたカイセイの4130Rで構成され自分にとっては硬すぎず柔らかすぎず絶妙な乗り味。路面からの振動や衝撃はフレームが全体で緩和してくれるのはもちろん、650×38Bエキストラレジェタイヤがその大半をフレームに伝わる前に打ち消してくれるような感覚だ。

そして乗り心地に寄与したと思うのがハンドル周りだ。使用したハンドルはグランボアフランス型マースバー410㎜溝付きでリーチが長いクラシカルな形状のハンドルだ。ショルダー部分を地面と水平になるようにセットするとドロップ部分は地面に向かって下がる状態になるのだが、これが深い前傾を取りやすくしてくれる。最も握る時間が長い肩~ブラケット部も最近主流のリーチが短いハンドルであればブラケットとショルダー部のポジション差は小さいが、このハンドルはリラックスして走るときはショルダー部分、少し力を入れて走りたいときはブラケット部分と使い分けができる。
肩がせりあがったフランス型ランドナーバーも好きだが、同じフレーム、同じ長さのステムで比較した場合ポジションが起きるのでこちらはもっとゆったりと走る場合に向いていると思う。ドロップ部分の曲げ形状が似ているがフランス型マースバーの方が深曲がりなので下ハンが遠くなりより深い前傾が取れる。それに対しフランス型ランドナーバーは少し浅めの曲げで肩部分がアップしていることも相まって下ハンを楽な姿勢で握りやすい。

今回は舗装路のみなのでマースバーを選んだが、6月のジャパンバイクテクニークのような荒れた林道を走る場合はランドナーバーの方が扱いやすいと思う。

 


今度はスペインチームのトレインに混ぜてもらう。

【DREUX 1174.5km 21日12:03】スタートから67時間

最終コントロールに到着。残りは45㎞、2時間あればゴールできるはずだ。蟹雑炊を食べてエネルギー補給。ゴールが近いのでみんなの表情が明るい。

 


とうとう走行距離が1200㎞を越えた。ゴールまで本当にあと少しだ。


残りの約15㎞はこの人とアタック合戦をしてペースを上げ続けた。ランナーズハイのような状態で疲労を一切感じず、力いっぱいペダルを回すのが気持ちよかった。

お互いの走りを称えあってランブイエの市街地に到着。PBP前の試走や買い出しで何度も通ったのでランブイエ市街地は見慣れた景色になっていた。ここを3日前の夕方に出発して大西洋に面するブレストへ行き、また走って帰ってきたという実感は無かった。

 





【Rambouillet 1219㎞ 21日14:18】スタートから69時間16分
フィニッシュに到着。長かったような短かったような不思議な気分でゲートをくぐった。達成感も感じたが1200㎞走ったという事実をうまく呑み込めなかった。


ブルべカードを提出し、最後のスタンプを貰って完走メダルを受け取る。3日間頑張ってよかった。苦しんだ3回目の夜に諦めなくてよかった。






ゴール後はコンクールの車検等を受けて会場内の飲食スペースで昼ごはん。

1200㎞を完走できたのは親方、はるみさん、ジャン・フィリップ氏この3名のサポートがあった部分が大きい。もちろん2019年は例年よりもブルべの出走を増やして長距離走に慣れるようにしたし、自転車はコンクールマシン用に最高のものを使うことが出来たので完走できたのは身体や機材面も大きい。ただ、1200㎞の旅路で途中のコントロールで待ってくれている人たちがいたことは大きな心の支えになった。長距離を走るときは身体の調子が成否を左右するのはもちろんだが、モチベーションが失われると身体は大丈夫なのに一気に走れなくなることがある。3回目の夜は正にその状態だったのだが、こうしてゴール出来たのはサポート隊の3人がいたから消えそうな灯でも耐えることが出来たのだと思う。
この3名のほかにも2017年に続き現地で通訳をしてくれた小林さん、PBP前に訪れたサンジェのオリビエ氏など多くの人から走りに関するアドバイスや励ましの言葉を頂き、そして日本からインスタグラムやフェイスブックを通じ多くのメッセージを受け取りました。応援いただきました皆様本当にありがとうございます。

自分がこのパリブレストパリ/コンクールマシンを無事に走り終えることが出来たのは、ここに来るまでに関わったすべての人たちのおかげです。このレポートも本来ならもう少し早く完結させたかったのですが、なかなかこの体験を消化できず今に至ってしまいました。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。


↓各コントロールの通過時間、平均速度など

今回使用したグランボアのコンクールマシン2019はアイズバイシクル店頭で展示しています。どうぞ実際にご覧ください。

まえの

スタートからPC1まではこちら

 

 

PC1 VILLAINES-la-JUHEL217㎞ 19日1:29

PC1での休憩はジュースを飲むことにとどめ、再びバイクにまたがって出発した。まだ自分の周りを走っているのはA~E組のライダーとタンデムやベロモービルだけだ。後ろの90時間組に追いつかれていないことから全体の中でもいいペースで走れている。当初の計画よりも僅かに遅れていたが、太陽が昇ればパワーが出るので焦る必要はない。夜明けまでは不意に眠くなったりするのでペースを上げることよりも無理のないペースを維持することを意識して走り続ける。

 

 

 

PC2 FOUGERES306㎞ 19日5:46

 

ここではコーラとアップルパイを食べた。出走前の計画ではブルべ中の補給食の大半を日本から持ってきた補給食で補う予定だった。しかし、持参した補給食のみだと飽きてくるので眠気覚ましも兼ねて軽食コーナーを利用した。

日本の8月なら4時半頃には明るくなるが、フランスの場合は2時間ほどそれが遅くなる。日の入りが遅いのと同様に日の出もゆっくりだ。この写真を撮影したのは8月19日午前7時。日本なら5時前くらいといわれても違和感がない。街の人々の動きも同様で、フランスの午前7時は日本の午前5時頃と同じような空気が流れている。

 

 

PC3 TINTENIAC360㎞ 19日8:18

 

この時間になると太陽が昇り始め気温も上昇するのでペダリングに力が戻ってくる。下の写真のようにPBPでブルべカードに押されるスタンプは個性豊か。PCに着くたびにどんなスタンプがもらえるのかが楽しみになっていた。

そしてここTINTENIACでは最初のサポートを受ける。PCから5㎞圏内であればサポートカーとのコンタクトが許されているのでPCと同じ街中でサポートカーに待機してもらった。サポートしてもらうのはここまで消費した補給食、飲み物の補充、そして昼間は不要な防寒具関係を預ける。補給食と飲み物がサポートで補充できるのでPCではブルべカードのスタンプとトイレを済ませるだけでよくなった。ただ、先頭を争うような走りをしているわけではないので結局のところPCでは腰を下ろして休憩するし、朝、昼、晩の3食はレストランの食事を使った。レストランは90時間組の場合、行列が出来て並ぶだけで時間を取られるということだが、80時間組の場合は待っても5分程度なので日本のブルべでコンビニに入るのと大差がない。なので自分のような時間帯で走っている場合、サポートカーが付いても大幅な時間の短縮にはあまりつながらなかった。それよりも、長い道のりでPCで待ってくれているサポート隊の存在自体が心の支えになったし、スピードを維持するモチベーションにつながった。今回、1200㎞のあいだ知り合いはおろか日本人参加者にほとんど会うことが無かったので、PC到着後サポートに合流し食事をしながら会話が出来たのは本当に助かった。

 

 

【ウェアの話】

PBPは昼夜問わず走り続ける。昼間は20~25℃で日本に比べて湿度が低く、サイクリングをするには快適な気候。宿に泊まっておいしい時間だけ走るなら日本の初夏と変わらない服装で事足りるが、ブルべで時間制限がある以上そうはいかない。PBPは標高500m以上の峠を越えることはないので凍り付くような寒さはないが、それでも夜間や早朝は5℃以下まで気温が下がる場所もある。8月だからと油断して軽装で出走するとDNFになりかねない。寒さ、暑さへの耐性は人それぞれなので一概には言えないが夜間の寒さ対策はPBPを完走するうえで重要なポイントになると思う。

自分の場合は半袖ジャージ、半袖インナー、半指グローブ、ビブショーツ、薄手のウールソックスを基本の服装にして、気温に応じて長指グローブ、アームウォーマー、レッグウォーマー、ネックウォーマー、レインジャケットを重ね着して気温差に対応した。想定したのは最高気温25℃、最低5℃程度。6月に参加したBRM622紋別600㎞と同じ組み合わせを使った。ウェアはスタートからゴールまで同じものを使用し、途中で着替えはしていない。自分の好みだが、肌に触れる衣類はビブショーツを除きメリノウール製のものを使用した。防臭効果に優れているのと、汗や霧などで濡れても冷えにくいので長距離サイクリングに適した素材だと感じる。
①基本の組み合わせ


②日没前や明け方

①にアームウォーマー、レッグウォーマー、反射ベストを加える。暑くなったら写真のようにベストのジッパーを開け、アームウォーマーをまくって温度調整。


③夜間、早朝

長指グローブ、レッグウォーマー、アームウォーマー、ネックウォーマー、反射ベストのフル装備。

これでも寒い場合は反射ベストの下にレインジャケットを加える。レインパンツも持参したが使う機会がなかったのでサポートカーに預けた。

冬用のウェアを持っていくほどでは無かったが、寒さは眠気や低体温症を誘発するので防寒具に関してケチってはいけない。暖かいウェアで走っていて暑くなればジッパーを開けたりインナーを脱いで体温調節ができるが、寒さは着込むことでしか根本的な解決はできない。日本であれば夜間でもコンビニが開いていて、レインコートなどを入手できるがPBPの場合それは期待できない。夜中に広大な畑の一本道で寒さに震えないためにも防寒対策は重要だ。

 

 

 

 

TINTENIAC出発後、気温とともに自分の調子も上がってきた。ペースの合う参加者同士でグループができるのでそれを利用しエネルギーを節約しながら距離を稼げる。交通量は少なく、見渡す限りの畑と牧草地の中を進んでいく。

 

 

PC4 LOUDEAC445㎞ 19日12:12

全体の3分の1を消化。補給食は十分に持っているのでブルべカードにスタンプを貰い、長居せずに出発。

 

 

Saint-Nicolas-du-Pélem488㎞

ここはPCではないので止まる必要はないが、トイレと気分転換がしたかったので10分ほど休憩。

ジュースを飲み干し、バナナはポケットに入れて出発。あと40㎞弱で次のPCだ。

 


緩やかに登り、緩やかに下る道が続く。時折ダンシングを織り交ぜるが、これは加速の為ではなく休むために腰を上げている。

 

 

CARHAIX-PLOUGUER521㎞ 19日16:17

ブレスト前最後のPCに到着。サポートカーはまだ到着していなかったので80㎞先のブレストに備えてミートソースパスタを食べた。食べ終わるころにサポート隊が到着。今後の予定について話し合い、ブレストPC5㎞圏内にホテルを確保してあるので場合によってはホテルでの仮眠をとることも視野に入れて走ることにした。ブレストの市街地は複雑なのでサポートカーによる補給は無し、ホテルでの仮眠をしなければサポート隊と会うのはまたこの場所になる。

PCのすぐそばにサポートカーが止めてあったのでPCを出た後、車内で休憩。。ここまでほとんど仮眠をとっていないので車のシートが心地よかった。

 

サポートカーでの休憩はしっかりと眠れた感覚はなかったが、疲労は軽減された気がしたのでブレストまでの約90㎞もペースを落とさずに走ることができた。この区間もトレインに加わって省エネ運転。人の後ろにつきっぱなしだとボンヤリしてくるので時折前を牽いたりもした。

 

ブレスト手前のRoc Travezelが本コースの最高標高地点。電波塔のようなものが見えてくる。360度遠くまで見渡すことができてまるで地の果てのような場所だった。

Roc Travezelを過ぎるとブレスト市内まで下りる。どうにか真っ暗になる前にブレストと大西洋を拝むことができた。

PBPの折り返し地点であり、僕自身初めての大西洋だったのでこの景色には感動した。まるでゴールしたかのような写真を撮影して暫し感傷に浸る。

PC手前では私設のエイドステーションが出ていた。ほかの参加者の流れに乗って自分も一休みしそうになったが、PCまであとわずかなので先に進んだ。

ブレスト市内をPCに向かって走る。ブレストの市内は坂が多く、海岸からPCまで登りっぱなしだった。日本で例えるなら長崎だろうか。

 

 

BREST610㎞ 19日22:10

ようやく折り返し地点のPCに到着。昨日のスタートから29時間が経過している。60時間以内に完走するならば後半のペースダウンも加味して25時間程度での到着を計画していたが、向かい風の影響か時間がかかっている。ブレストではスタンプを貰ってトイレを済ませ、時間は惜しいがレストランでしっかりと夕飯を摂った。

バイクスタンドに並ぶ自転車のメインは80時間組だが、90時間組のプレートを付けた自転車も増えてきた。

これで往路のページがスタンプで埋まった。

 

手前のCARHAIX-PLOUGUERでもパスタを食べたが既に4時間近くが経過しているのでレストランで食事。バゲット、マカロニ、蒸し鶏、サラミ、ニンジンサラダのセット。疲れているとなんでも美味い。

ブレストには1時間ほど滞在し、眠気も感じていたがパリに向かうべく暖かいレストランを後にした。

 

 

③に続く…

まえの

こんにちは、スタッフの前野です。8月18〜22日にフランスで開催されたパリブレストパリ1200km(以下PBP)に参加してきました。
PBPと言えば、ブルべをやっていれば一度は耳にしたことがある言葉でしょう。PBPとはParis-Brest-Parisの略語で、パリと大西洋沿いの港町ブレストを往復する1200㎞ブルべです。その歴史はツールドフランスより古く、現在は4年に1度開催の世界中からランドヌールが集うブルべの祭典です。
今回、自分はビルダーの競技会CONCOURS DE MACHINES 2019(以下CDM)にエントリーしたグランボアのライダーとしてPBPを走りました。PBP出場の経緯に関しては少し特殊ですが、普段は普通に働きながら休日を使ってブルべやサイクリングを楽しむ一般的なランドヌールです。そんな自分が見たPBPを紹介します。

 

【コース】
現代のPBPのスタートはパリではなく、パリから少し西に位置するランブイエです。ランブイエと大西洋に面する港町ブレストを往復する1219kmです。(下のマップは実際に走ったGPSのログです。)

【出走時間について】
普通のブルベは制限時間が一律に決められていますがPBPの場合は80、84、90時間から参加者が選択します。制限時間が短い80時間は18日午後16時から順番にスタートし、その後に90時間組がスタート、84時間組は翌朝のスタートとなります。

今回、自分もこの写真の特別車両枠(CDM参加車両、タンデム、リカンベント、ベロモービル等)90時間F組で17時15分にスタートするはずでした。しかし、事前に日本で本登録する際にCDM主催者側からCDM参加チーム出走時刻変更がこちらに伝わっておらず、80時間E組17:00スタートになりました。1200㎞の制限時間が80時間と90時間では時間の使い方が大きく変わってきますが、CDMで得点を稼ごうと思うと80時間以内のフィニッシュは必須だったので走行計画に影響はありません。(CDMは80時間を境に15分刻みで速い場合は加点、遅い場合は減点)

 

 

【現地での試走 8月15、16日】
フランスにはスタートの4日前に到着。15,16日は時差ボケ解消と身体を慣らすために計200kmほどランブイエ近郊を走りました。
ランブイエに到着した15日は18~20時過ぎまで70㎞程走行。写真のように見通しの良い道路が続き、往路は西からの向かい風であまり速く走れませんでしたが、復路は追い風となり、ものすごい速さで帰ってくることが出来ました。実際にPBPのコースを走ってみると風向きは大きな要素であることを実感した次第です。試走以降、18日からの風向き予報から目が離せなくなりました。


16日は前回2105年までのスタート地点サンカンタンのナショナルヴェロドロームへ。今回のスタート地点は牧歌的な雰囲気のランブイエですが、パリに近いサンカンタンは高規格道路が通り、ショッピングモールがあったりして街の雰囲気が異なります。実はヴェルサイユ宮殿もこの近くにあるので行きたかったのですが時間の都合で諦めました。

【PBPの路面状況】
路面の状態は比較的良好ですが街中には石畳や舗装の割れが散見され、細いタイヤで走るには少しリスキーな場所もあります。CDM号も予備車もエアボリュームに富んだ650×38Bタイヤを履いているので試走もPBP1200㎞もパンクとは無縁でした。

実はタイヤの選択は直前まで親方と悩んだ部分で、今年完走したブルべのほとんどをチューブレスで走った自分は試作品の650×38or42BチューブレスレディタイヤでPBPを走ることを希望していました。しかし、飛行機でチューブレスレディタイヤを空輸することで生じるリスク(空気を抜くことでビードが落ちる可能性、ビードが落ちなくてもシーラントの気密保持層が壊れることで空気圧が安定しなくなる可能性がある、チューブレス空輪の経験が無いのでトラブルの予測がつかない)とCDMの得点で重要な重量面で試作チューブレスレディタイヤ+シーラントの組み合わせと超軽量タイヤ650×38Bグランボアエキュルイユ、SOYO製試作650B用ラテックスチューブ、パンク対策シーラント少量の組み合わせに重量面で大きな差がなかったことから信頼性を重視して試作チューブレスレディタイヤ+シーラントではなく、超軽量650×38Bタイヤ+シーラント入りラテックスチューブの組み合わせに決まりました。
同時にリムも他社製品のチューブレスレディ対応のものからグランボアパピヨンWアイレット28Hに組み替えています。ホイール単体での重量はパピヨンWアイレット28Hに組み替えたことで増加しましたが剛性感に優れ、荒れた路面でも安心して突き進める信頼性の高いパピヨンリムに、前述の超軽量タイヤシステムを組み合わせたことで信頼性と乗り心地、軽やかさを併せ持った足回りが出来上がりました。特に乗り心地と転がり抵抗はチューブレスレディタイヤと同等かそれ以上に好感触で、パンクに対してはラテックスチューブ内に注入したシーラントが対応してくれるのでパンクに対する不安も少ないです。万が一シーラントで防ぎきれないパンクが発生した場合は普通のチューブと同様にパッチで修理するかチューブの交換で済むのでチューブレスのトラブルに比べたら煩わしさも少ないです。

 

 

【PBP走行計画】

8月18日17時ランブイエをスタート、翌朝到着するPC2まではサポート無しで走行。ブレスト手前のタンティアックからサポートを受けつつ走り、21日午前5時までにゴールする計画でした。尚、睡眠に関してはどこで取るかは決めておらず、眠くなったら1~2時間程度寝ることにしました。
トータルの目標は60時間。60時間に目標タイムを設定した理由はGWに走ったBRM502京都1000kmのタイムが59時間台でこれは補給や休憩に多めに時間を割いた上でのタイムでした。高い峠が無く、参加者が多いPBPでは他者と協力し合うことで巡航速度が上がり、PCではサポートを受けられることが決まっていたので自分にとって無謀でない目標時間だと考え60時間としました。

【17日】
前日はPBPの車検と事前受付、CDMの車検と展示。
車検と事前受付は混雑が予想されたので早目に受けられるように午前8時過ぎに会場に到着。この時はまだ列も短く、殆ど待つことなく車検とフレームバッジ等の受け取りを済ませることができました。30分も経つと列は3倍近くに伸びていました。
詳細はこちらの記事で。

 

【18日】1200㎞ブルべが始まる

午前中は宿でリラックスして過ごす。昼頃まで眠りたかったがベッドで横になっても興奮からか深い眠りにつくことは出来なかった。昼食は稲荷寿司とちらし寿司。やっぱりお米を食べるとホッとするし元気が出る。

こちらはスタート時に携行する補給食。計画では400㎞弱約18時間をサポート無しで走るため、そこまでの食事は日本から持ってきた補給食で補う予定だった。そのため1本200kcal前後のバーを多めに携帯した。今回使用するフロントバッグは6月のJBTで使用した試作モデルの進化版。BRM622紋別600㎞での雨中走行などを経てバッグの生地は防水仕様に変更されている。そしてJBT版で既に使いやすかった上蓋の補給食ポケットは、ジッパーの開け閉めがより簡単なものに改良されており今回も補給食の管理に役立った。メインの荷室にウェアや手袋と一緒に補給食を入れると走行時の振動や衝撃で小さい補給食が底の方へ移動してほしい時に見つからなくなることが多々ある。このバッグの補給食ポケットはそういったストレスから解放してくれる。

昼食後15時過ぎに車で会場入りし自転車を組み立てて最終チェック。何せこれから1200㎞を共に走る相棒だ。スタート前から不安要素があっては困るので念入りにチェックした。前日のCDM展示の際にチェーンオイルをふき取っていたので念入りに塗布する。今回も使用するチェーンオイルはフィニッシュラインセラミックウェットルーブ。今年に入ってからすべてのブルべで使用していて滑らかにチェーンが回り、雨に当たらなければ600㎞差し直す必要がないところが気に入っている。

スタート待機場所に到着。たくさんのランドヌールと自転車で埋め尽くされている。そこで2月のBRM216小倉300㎞でお世話になったAJ福岡のBさん(いちごオレの方)と会うことが出来た。お話を聞けばなんとモンサンミッシェルに寄り道するそうだ。コースを外れてモンサンミッシェルまで往復80㎞の追加!やっぱりこの会場に来てる人たちは普通じゃない。スタート時刻が近づくとE組の待機列に並び、出発を待った。

最初のテントでブルべカードにランブイエのスタンプを貰う。

スタートゲートの前で17時にを待つ。

17時、E組のスタート時刻だ。1200㎞の旅が始まる。

スタートすると大集団が形成され周囲の流れに乗って進んでいく。1車線をフルに使って走る集団でブルベを進めるというのは国内ではあり得ない状況だ。まるでTVのツール・ド・フランスで見るプロトン。参加者間の間隔がかなり近いので周囲の動きに同調して走り続ける。今ここで変な動きをして前輪をハスったり追突されれば自分だけでなく後ろを走っている大勢の参加者を落車に巻き込みかねない。

スタート直後は緊張してかなりナーバスになっていたが、徐々にリラックスして走れるようになり集団での走行を楽しむ余裕が出てきた。ただ、集団のペースは速く、とても1200km保つとは思えないスピードだ。流れに乗っていれば付いていけるスピードなのと集団から離れて一人になった場合、この日は西風が強く吹いていたのでスピードがかなり落ちることは確実だった。なのでこの時は多少速くても集団の中で過ごすことを選んだ。

118km地点のMORTAGNE-au-PERCHEに到着。グロスアベレージは29kmhを超えていた。

ここはスタンプを貰う必要があるPCではなく、補給食や水などが調達できるサービスポイントだ。ここまでオーバーペース気味の集団についてきたので自転車を降りると体が悲鳴を上げた。乗車中は気が付かなかったが無理をしていたようで屈むことすらままならない。ここで必要な動きは水の補給だけだったが強い疲労感から10分以上動けなかった。15分後にスタートしたF組のタンデムや弾丸のようなベロモービル、そしてコンクールマシンに参加しているRossmanCyclesのハーンさんが早くも追いついてきた。自分も水を汲んでようやく再スタート。こんな所でのんきに休憩していられない。まだ100㎞しか走っていないのだ。

118㎞地点MORTAGNE-au-PERCHEから217㎞地点VILLAINES-la-JUHELまでの約100kmもノンストップで走行するつもりだったが、眠気覚ましのためバーでコーヒーを飲んだ。まだ一晩目だが前走者のテールライトを見ていると吸い込まれるように眠くなる。自分は完走することが最優先事項なので多少のタイムロスはあってもリスクは消していかなければならない。そんな訳でバーの灯りに寄せられたのだ。
結局ここではコーヒーのオーダーや地元の人と話したりして10分ほど使ったが価値のある時間だった。

【19日】

約8時間で217㎞地点のPC1VILLAINES-la-JUHELに到着。時刻は深夜1時過ぎといったところだ。ハイペースで走り続けてきたのと眠気で既に疲労感がにじみ始めている。夜は本当に辛い。

まだ残り1000㎞。とんでもないブルべに参加してしまったと思いながら椅子に座って缶ジュースを飲んだ。
②に続く…

まえの

【コンクール走行会=パリブレストパリ】

7月18日(日)

7000人近い人数のライダーたちをスムーズにスタートさせるのはなかなか大変です。どのようにしているかというと実績と完走目標タイムと申し込み順で細かくグループに分けられて時間差でスタートしていくのです。ですが、7,000人ともなると200-300人づつに分けたとしても20-30以上のグループになります。実績のあるライダーたちが集まるAチームが最初で午後4時スタート。それから15分おきにアルファベット順のグループに分けられて流れるようにスタートして行きます。夜間は無いとしてもそのスタートは翌日まで続きます。

グランボアのスタート時間はEグループで午後5時。これは事前に打合せがあって「コンクール参加チームは5時スタートで一緒にしましょう」と聞いていたのですが、実際は5時15分スタートに変更になっていました。私たちは既に5時で登録を済ませていたのでそのまま一足早くスタートすることとしました。

Eチームの集合場所。

 

そこにはすでにGPSをスタートさせるためにコンクールのスタッフが待機していました。

JBTで使ったものに比べると少し大きいですが、フレームに固定してしまえば邪魔にはなりません。これがあったおかげでサポートもライダーの位置を常に把握できるので大変助かりました。JBTの時は回線が早々にパンクしてしまいましたが、今回のコンクールではそういったことはありませんでした。ただ、やはりそれぞれの更新時期がまちまちで順位を正確に把握するのは難しかったです。グランボアではこのGPSとグーグルの位置情報サービスをライダーと共有して2重で位置確認をしながらサポートしていました。

 

スタート

いってらっしゃーい!

 

 

【サポート】

事前に打ち合わせた予定では前野の目標タイムは60時間。だとすると18日午後5時にスタートすると予想ゴール時間は21日の未明ということになる。これは大変!それにペッタリくっついてサポートしていたのではこちらが参ってしまう。ライダーが疲れる後半のサポートに重点を置くためにも、私たちは午後5時のスタートを見送ってからいったん宿泊地に戻って仮眠をとってから約360キロ地点にあるコントロールポイント(Tinteniac)で最初のサポートをすることとしました。その次はドライバーをもう一人確保するべくルートをそれてサポートに合流してくれるJPを迎えになんと160キロ先のAnjouへ南下。それから300キロ先の次のサポート予定地(CARHAIX-PLOUGUER)へ向かったのでした。今回のサポートで車は恐らくトータルで2000キロ近く走りましたよ。。。

 

 

-360km TINTENIAC- 19日の未明から朝にかけて待機したタンテニアックコントロール。

 

日本ではほとんど見かけることのないベロモービルが結構PBPを走っていました。しかも速いんですよ。ビックリしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-521km CARHAIX-PLOUGUER- 19日の夕方、カレ・プルージェコントロール。

車を飛ばして何とか一足先にコントロールに到着していた前野に会うことができました。

 

 

 

 

 

そて、次はいよいよ折り返し地点のブレストですが、町が大きく複雑なこともあり、フランス人の友人のアドバイスからブレストでのサポートはせず、次のサポートは再びこのカレ・プルージェですることとしていました。ですが、一応念のためブレストでもホテルを確保していたのでサポートもブレストに向かい、夕食と3時間ほどの仮眠をとることとしました。

車でもこの海が見えたときは感動です。自転車ならなおさらでしょうね。

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-693.5km CARHAIX-PLOUGUER- 復路のカレ・プルージェコントロール。

夜明け前の4時前から前野の到着を待っていましたが、予定より少し遅れ始めていました。ブレストへ向かう人、パリへ戻る人、いろんな自転車、様々な国籍の方、老若男女、絶え間なく行きかう交差点に立っているとちょっと不思議な感覚。あれ?ここってどこだっけ。。

 

 

-783km LOUDEAC- ルディアック、町が動き出す前。

 

カレ・プルージェからルディアックまで90キロほど。自転車だと4-5時間ほどかかりますが、車だと1時間で移動できます。ですのでルディアックには早めに入って車で仮眠をとりながら前野を待っていました。ブレストへ向かう人、パリへ戻る人、ここでリタイアしてしまう人。ずっと、夜明け前の街を眺めていると自転車だけでなくこのような2台ペアのバイクを時々見かけるのに気が付きました。自転車の小さなグループを見つけてはそれらを守るように追走するそうです。他にも間違いやすい交差点などにも始終ボランティアが立って道案内しています。参加人数も桁外れですが、このボランティアの数もすごい数なんでしょうね。

 

 

 

 

-869.5km TINTENIAC- ライダーと会えなかった復路のタンテニアック。

明るくなって調子が上がった前野はサポートが昼食をとっている間に先に行ってしまいました。

 

 

 

-923.5km FOUGERES- 美しい古都、フージェール。

ALOUETA(FR)

 

 

ROSSEMAN CYCLES(USA)

 

 

 

 

 

CYCLES GRANDBOIS(JP)

昼間は前野の走りはとても良い。夜間に先んじていた他チームに追い付く勢いです。食欲もあり、トラブルもなく順調に距離を伸ばしていました。

 

 

 

-1012km- VILLAINES-LA-JUHEL ここから先は未知の領域。ヴィラネラジュエル。

 

 

ROSSEMAN CYCLES(USA)とCYCLES GRANDBOIS(JP)一緒にコントロールにやってきました。

18日にランブイエを発ち、1000キロを51時間ほどで走ってきました。ここから先は前野にとっても初めての距離になります。しかも3回目の夜が迫っていました。あと200キロ。これまでのペースだとほぼ目標通りの61時間でゴールできるはず!一緒にコントロールにやって来たロッスマンサイクルのハーンが早々にこのコントロールをスタートするのを見送りながら、夜に向けて少し長めの休憩(1時間ほど)を取り、日が沈んだころ次のコントロールに向けてスタートして行きました。ただ、スタートする前にトイレに行った前野が30分経っても戻ってこない、アタフタと戻ってきた彼に聞くとトイレで寝てしまったとの事。後から思えばここでもう少し、数時間でも仮眠をとるべきでした。目標タイムに届く走りができていただけにライダーもサポートも無理を選んでしまいました。よーく考えれば3日間も寝ずに走りとおせるわけが無いのですから。

 

***

このコントロールではAグループでスタートしたCYCLES VICTORにも会うことができました。今回はそれほど飛ばしてはいないようでしたが、2015年のPBPでは1200キロを50時間以内で走り切った実績を持っています。今回、彼からサポートのコツなどをイロイロ教えてもらいました。彼らはまだまだ元気でまだ明るいうちに次のコントロールに向けてスタートして行きました。

目を引く華やかなウェアと自転車のコーディネイトがとても素敵でした。

 

ウェアといえば。。。

Rossman Cycles のハーンが着ているこのウェアのモチーフは自国のアメリカの国旗とパリブレストパリが開かれるブルターニュ地方の紋章のミックスになっているパリブレストパリの特別デザインです。そして、その一部に来日した時の日本の思い出が盛り込まれているというとても複雑で面白いデザインになってるんですよ。写真?その部分撮れてないんだよね。。。答えは熊。ブルターニュの紋章とアメリカ国旗、そして熊。あー、、ますます見たいよね。スミマセン。

***

 

 

 

 

-1097km- MORTAGNE-AU-PERCHE 待ち続けた10時間。モンタンオーペシェ。

ヴィラネラジュエルからモンタンオーペシェまで85キロ。普通だったら5時間もかからないはずなのですが、サポートにとってもライダーにとってもこの区間が最も辛い区間となりました。車での移動は1時間ほどですのでずっと車内やコントロールの中の休憩所で待っていたのですが、GPSを見ていると40-50キロほど進んだところでパッタリと動かなくなってしまったのです。夜中の気温は数字は確認していませんが、持っていたダウンのジャケットを着ていてもまだ寒いくらい。「まずいなぁ。」と親方と話してリタイア覚悟で迎えに行ってみるか、と思った矢先にGPSが動き出す。そして、また止まる。そうかと思えば、「あ、道が違う。間違ってる。」と親方。なかなか近づいてこないその点をただただ祈るような気持ちで夜通し見つめていました。先にも少し書きましたが、サポートカーとして登録した車はコントロールポイント周囲5キロまでしかコース上に入ることはできません。やっとその点がコントロールまで2.4キロとなった時、また動きを止めたので車で見に行きました。ですが、草むらや人家の庭先などをのぞいてみましたが姿はなく、そうこうしている内に夜明けを迎え、前野は私たちが探しに出ている間にコントロールにたどり着いていました。ホッとしました。やっと会えた時、ちょっとボーとした様子でしたが、怪我も無く、しっかり食事もとれました。ですが、この区間のことはほとんど覚えていない、断片的なシーンしか覚えていないと彼は言いました。

 

 

 

 

-1174.5km- DREUX ここを過ぎればゴールまで45キロ!

前の区間で意図せず眠ることができたおかげですっかり調子を取り戻しました。それ以上にこれまでで一番足が回ったとのこと。驚きます。26歳の回復力はすごいですよね。。あとはゴールのランブイエ迄45キロ。油断せずに走るだけです。

 

 

 

-1219km- Rambouillet ゴール 69時間16分

やったー。

 

 

 

 

 

【走行後車検】

ゴールして間髪いれずにコンクールの最後の課題です。1200キロ走り終えて、手がしびれたりしていないかをチェックするために新品のピクルスの蓋を開けるよう指示されます。

問題なし。

 

さらに硬いサラミを薄ーく切るよう命じられます。

もちろん問題なし。しかも、前野は手がしびれないことをアピールするためにゴール100キロ手前から手袋を外していたそうです。グランボアに乗っていて「手なんかしびれた事は無い」ですって。フランスならではのチェックで楽しかったです。

 

 

 

そして、車検。

まずは、GPSをはずして。。。

 

 

 

ちゃんと変速するか、ライトはつくか、ブレーキは利くか、各所にガタはないか、タイヤに問題は無いか、ひやひやするほど念入りにチェックしていただきました。

結果はペダルに少しガタがある程度との事で問題無しでした。すごいですよね。走行中も自転車はパンクも無ければトラブル無し。全くノーメンテナンスで走りきったのですから。

ところで、この車検係の方たちも各チームが走っている間は同じようにコースに出て、撮影したりして、同じように大変だったはず。お疲れさま!

 

 

さて、翌日に発表されたそのコンクール結果は。。。

 

1位 VICTOIRE CYCLES(FR)

2位 PECHTRAGON(FR)

3位 ROSSEMAN CYCLES(USA)/CYCLES GRANDBOIS(JP)

 

めでたくロッスマンサイクルとシェアする形で総合3位を頂きました。ただ、得点などは公表されませんので詳細は不明です。親方が後ほど解説してくれるはずですのでそちらをお楽しみに!

 

 

 

 

 

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こちらはコンクール終了後に製作されたショートムービーです。残念ながらグランボアは最後の0.1秒くらいのカットに入ってるか入ってないかというくらいしか登場していませんが、6分ほどでとても良くできていますのでぜひご覧下さい。

 

 

 

 

つちやはるみ

 

長らく留守にしていてすみませんでした。帰国して山積みの仕事を何とかかたずけて少し落ち着きました。

あの台風10号が上陸する前日に渡仏して、「一日ずれてなくて良かった。ラッキー!」なんて思っていたら、フランスに着いてからもPBP出走前日までは雨だったのに、スタート時には雨は上がったりして、今回はお天気が見方をしてくれました。おかげで初参加したPBPも途中DNFが頭をよぎる時間もありましたが無事に完走することができ、そして、グランボア2度目のコンクールマシンではエントリー29チーム中、見事総合3位をいただくことができました!!!

たくさんの応援とご協力に心から感謝申し上げます。日本とフランスとの時差は7時間、ちょうど現地での夜間や明け方のつらい時間帯にSNSを通して応援メッセージが届くのでとても励みになりました。ありがとうございました!

2019年は年明けからこの日を目標にライダーの前野とメカニックの伊藤と共に取り組んでまいりました。特に前野は4年に1度しかないPBPの出場資格を得るために年明けからブルべのスケジュールを組み、気の休まらない日を過ごしてきたことと思います。また、伊藤につきましては昨年の夏に退職した野田店長の代わりを務めるべく製作に携わり、私たちが留守にする間は一人で店を切り盛りしてくれました。この2人がいてくれたおかげで私たちはこんな大きな挑戦を果たすことができましたし、結果も残すことができました。あらためて2人にも心からお礼を伝えたいと思います。ありがとう。また、今は育休中の店長代理のなっちゃんこと、古市も大いに応援し、留守を守る伊藤を助けてくれました。ありがとうね。

今回のコンクールはフランスのスポーツ新聞、そう、あのレキップでも記事になり、グランボアのことも紹介してもらっています。もちろん、フランス語ですが、嬉しいコメントをもらえましたのでぜひご覧下さい。レキップベロマガジン

 

 

 

グランボア OYAKATA 2019CdM/PBPモデル

 

6月のJBTが終わってから約2ヶ月でコンクール用の自転車を仕上げたわけですが、親方はお客様からの仕事もこなしながら時間外でフレームを仕上げ、オールメッキの下処理、キャリアやオリジナルパーツや小物の製作、軽量化、漠然としたそれぞれのアイデアを一つ一つ形にしながら試走ができる段階までに組みあがったのは渡仏一週間前でした。前野がその仮組状態のコンクール車を140kmほど試走して問題がないことを確認してからフレームと泥除けに仕上の線引きを施し、本組をしています。この過密なスケジュールに臨機応変に対応してくれた鍍金屋さんやグランボア専属で塗装を引き受けてくださっているEDO、毎週土曜日におしゃべりがてら来店くださるTさんにも様々な加工でお世話になりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【パリブレストパリ】

フランスのパリからブレストまで往復する1,200キロを決められた時間内で走りきるといもの。1891年に最初に開催され、現在でも継続されている世界最古の自転車イベントで今年は19回目です。計算が合わないのは開催期間が一定ではなかったため。初期のころは10年前後で1度開催される不定期のプロのレースだったようです。7回のプロのレースを経て、1951年から一般のサイクリストが参加できるラリー形式となり、5年に一度の期間もあったりしながら今の4年に一度に定着したようです。スタート地点も昨年まではパリ郊外のサンカンタンイヴリーヌでしたが、今年からパリから西に30キロほど離れたランブイエとなりました。33年前に第1回先進国首脳会議、ランブイエサミットが開かれた場所で、大きすぎない素敵なお城があり、それに付属する牧場があり、森があり、庭があり、池があり、自然豊かなとても美しい所でした。今年の参加者は公式ホームページによると6,673人。スタッフやボランティア、サポートや観戦に来られる方も入れるとすごい数の人が世界中から集まります。それがレースではなく、最長で4泊5日間にも及ぶサイクリングイベントだというところが面白いですね。

 

 

 

ランブイエ城

 

 

ゴールシーン

 

 

 

 

ちょっと、また長くなりそうです。

今日はここまでにしてコンクールの流れについてはまた後日アップいたします。その他、グランボアのコンクールマシンの細かな解説や他のコンクール出走車両については後日親方が、パリブレストパリとコンクールマシンのインプレッションについては前野がこれから記事にしてくれると思いますのでそちらをお待ちください。

 

それでは、続く~。

つちやはるみ

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